アリスズc

 ああ。

 会えれば――ただ、会えればいいと思っていた。

 けれど、父には父の心と事情があるのだ。

 ちゃんと家族を持っている父に迷惑をかけるというのならば。

 そういうのならば。

 わ。

 笑え、私!

 桃は、自分の顔に命令した。

 こわばったそれを、何とか動かすのだ。

「分かりました」

 桃は、笑った。

 頑張って、笑ったのだ。

 なのに。

「嘘です」

 即座に、エインが真顔で言う。

 え?

 意味が分からず、桃は思考が止まった。

「父上が会いたがってないなんて…嘘です」

 なにを。

 エインは、何を言っているのか。

「このくらい試したって、私には許されるでしょう?」

 憮然とした声。

「父が手を付けた平民の娘が来るんです。認知しろとか、お金をせびるとか…何故ありえないと言えるんですか」

 最初の紳士然とした様子から、打って変わって辛辣な唇。

 桃が、テイタッドレック家にとって、無害か有害か見定めようとしたらしい。

「領主の身分というのは、とても大変なのです」

 そして、分かった。

 あの言葉は、半分は本当だったのだ。

 父が会いたくない、ではなく、エインが父に合わせたくないと思っている。

 彼は、父が好きなのだ。

『父上』という言葉には、愛が含まれていた。

 好きだからこそ、父の愛を桃に向けさせたくないのだ。

 ああ。

 とうさま。

 桃は、見たこともない男を思った。

 父は、いま幸せなのだ。

 父思いの、しっかりした息子もいる。

 桃は、無性に母が恋しくなった。

 いまは。

 会えない代わりに、母の絵が自分を見てくれる。

 こんなに心強いことはなかった。

 桃は、笑った。

 顔に命令なんかしなくても、勝手に笑ってくれた。

 そして。

「いつまでもお元気で、とお伝え下さい」

 会わないことに――心を決めた。
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