アリスズc

「まだ…あなたのお父上にお会いすることは出来ません」

 長い長い沈黙の後。

 一つ大きな深呼吸をして、桃はそう言った。

 エインが、自分を押し殺してまで、彼女を父に会わせようとしてくれる気持ちはありがたいものだ。

 自分の気持ちより、父の気持ちを汲んだということなのだから。

「何故!?」

 何の障害もないのに断られるのは、理不尽だという視線が飛んでくる。

 障害は、確かにない。

 だが。

「私は、殿下のお付きですから。まだ神殿にたどり着いていないのに、それを放り出して行くわけにはいきません」

 桃には、やるべきことがあったのだ。

 絵の中から、母が見ている。

 ここで桃が役目を放り出して父に会いに行こうものなら、きっと母は悲しむだろう。

 そして桃自身もまた、この旅に意味を見つけていた。

 ハレとコー、リリューにホックス。

 皆が、大切な桃の旅の理由。

 だから、その大切なことをやり遂げなければならなかった。

「で、では、帰りは?」

 エインの言葉に、心が揺れる。

 ゆらゆらと、甘い自分の心が揺れ動くのだ。

「都に帰りつくまでが…私の旅です」

 母が。

 母の絵が、そこになかったなら。

 桃は、弱い娘になっていたかもしれない。

 次が、あるのだ。

 旅を成功させれば、桃にはいくらでも次の機会がやってくる。

 母もきっと、娘の新たな旅立ちを止めはしないだろう。

 ぐっと、エインは何かの言葉を飲み込んだ。

 その表情に、微かな悔しさがにじんだ気がする。

 そして。

 ぽつりと、言った。

「君が…いやな女だったらよかったのに」

 桃は──弟が父を愛する子でよかった、と思ったのだった。

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