アリスズc

 音は、前に飛ぶ。

 ハレは、ホックスに説明されたことを反芻した。

 音の範囲は、調整出来るようだが、必ず唇の向いている方にしか飛ばせないのだ。

 ホックスは、本当に熱心だった。

 何度もその身で、コーの音を食らいながら、学者らしい粘り強さで、彼女の力を調べていったのだ。

 だから、コーはハレの前に出た。

 でなければ、彼女の音は味方に当たってしまうのだから。

 だからこそ、敵も先頭にあの男が立っているのだ。

 初段の音の攻防が終わった瞬間。

 リリューが、飛び出してゆく。

 彼とモモの間で、取り交わされていた話だ。

 ハレの前で、それは行われた。

 リリューが出たら、モモは残る。

 素晴らしい信頼関係だと思った。

 飛び出す者にも、残る者にも強い勇気が必要だ。

 戦う勇気ではない。

 信じる勇気。

 出る側は、もしもの伏兵や倒し損じた敵が後方を襲った時に、振り返っている暇はない。

 残った側は、一人で出た者が、必ず生きて戻ると信じて、とどまらねばならないのだ。

 リリューは、見事な刀を振るう。

 ぽぉっ、ぽぉっと命の火のように、刀が光を放つ。

「撃ってよ」

 そして。

 コーもまた、自分と同じ血を持つ男と向き合っていた。

「もっとすごいの…撃ってよ」

 男の前で、茫然とすくんでいた娘は――そこにはいない。

 真っすぐに、立ち向かっているのだ。

 怒りに男が、逆上したのが分かる。

 声を発する間もなく、彼が違う形に口を開けた。

 だが。

 何も、起きなかった。

 本当に、何の害もハレには届かなかった。

「何故だ…おまえにそんな歌は教えてないぞ!」

 何も起きなかったことが、男には信じられなかったらしい。

 ひどく、狼狽していた。

 ハレには、彼女の後ろ姿しか見えない。

 だが。

 いまの彼女の背に、おそれは何一つ見えなかった。

 その頭が、微かに動く。

「『いま』教えてくれたよ?」

 音が届く前に──相手の歌を盗んでいたのだった。
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