アリスズc

 女性は、ロジアルバルハースフィムと名乗った。

 名の全てを名乗らなかったのは、貴族ではないからか。

「ロジアでよろしくてよ。長ったらしい名前で呼ばれるのは、気づまりが致しますの」

 再び開いた扇で、はふとため息をつく。

 桃は、微妙な気分で馬車に同乗していた。

 独特の気だるい雰囲気に、いまひとつ慣れないのだ。

 一度後部の幌から顔を出し、ソーの様子を確認すると、ちゃんとついてきている。

「桃と申します。伯母を訪ねてこの町に来ました」

 名乗った直後。

 扇の向こうの目が、鋭くこちらを見た。

「モモ…ああ、そう」

 再び、パチンと扇が閉じられ、その先を自分に向けてくる。

「ああ、そうですのね…あなたの伯母の名を、おそらく私は知っていますわよ…キクでしょう?」

 自信に満ち溢れた、真っ黒の瞳。

 ふふふと漏れ出る、甘い息。

 伯母さま、相変わらず目立ってますね。

 桃は、心の中でそう伯母に呟いた。

 静かな人ではあるが、おとなしい人ではない。

 そういう意味では、本当に探す手間は省けた。

「伯母を御存知なのですね…どこにいるのでしょうか?」

 とりあえず再会は近そうだと、桃がほっとしかけた時。

「あの尾長鷲を、私に譲って下さるのなら…お答えしますわ」

 踊る、扇子の先。

 は?

 桃は、思わず彼女の目を見た。

 人を言葉で嬲る、魔性の色に感じた。

 一瞬の間。

「分かりました…」

 桃は答えた。

 だが、それは。

「分かりました…荷馬車も寝床も結構です。ここで下ろさせていただきます」

 ソーを、ロジアに譲り渡すという意味とは真逆のものだった。

 身軽に、動き続ける荷馬車の後部から降りようとする桃の腕は。

 むんずと掴まれた。

「をほほ…本当にキクと同じ血が流れているわね。まるで…野生動物のよう」

 後ろから囁かれる声に、桃は──ぞぶっと悪寒を走らせてしまったのだった。
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