アリスズc

 エンチェルクは、自分の腰に刀を差した。

 キクは、門下生の中でも早いうちに、彼女に帯刀を許してくれた。

 その時の言葉が。

『エンチェルクは…守ると決めたら徹底しているからな』

 ウメのことを、言っていたのだろう。

 エンチェルクにとって、剣術とは手段に過ぎない。

 ウメを守る以外に、エンチェルクが剣を抜く事など、これまで一度もなかった。

 そんな彼女を知っているから、キクは早めに帯刀を許したのかもしれない。

「エンチェルク…」

 ウメの呼ぶ声がする。

 静かに、静かに呼ぶ。

 エンチェルクは、すぐさまウメのところへ向かった。

 微笑みながら、彼女は自分を待っていてくれる。

 この幸せな時間も、もう少しでなくなってしまうのだ。

「何て顔をしているの」

 そんな心の揺れは、すぐにウメに見破られてしまった。

「私は…」

「エンチェルク」

 往生際の悪い言葉が、自分の唇をついて出ようとした瞬間。

 ウメは、一瞬にしてそんなエンチェルクの心に杖を突き立てた。

「エンチェルク…あなたの国を、見てらっしゃい。あなたは、あなたの住む素晴らしい国をしっかり見て…そして」

 そして。

 彼女は、微笑む。

 儚くはない。

 凛として、力強い声で。

 そして、と言うのだ。

「そして、あなたの国を…愛してらっしゃい」

 ああ。

 他の理由など、本当はウメにはどうでもよかったのだ、と分かった。

 これを。

 この一言を、彼女は自分に伝えたかったのだ。

 エンチェルクは、ウメの向こうにある彼女の祖国に憧れを抱いていた。

 国への憧れ全てをひっくるめて、ウメへの愛情になっていたのである。

 ながくながく患った、ニホン麻疹。

 その病を、ついに治療する時が来たのだと──そう、ウメに言われたのだ。
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