アリスズc

 心の強い人間に、幾人も出会ってきた。

 それが、エンチェルクを作った要因の一つと言っていいだろう。

 だから。

「こんにちは、エンチェルクさんですね?」

 所用で、ウメの家に向かっていた途中に呼びとめられた時。

 ちゃんと、どこかで心の用意が出来ていた。

「こんにちは、何の御用ですか?」

 彼女と同じ年くらいの男は、いかにも役人か下級貴族然としている。

 人と応対し、しゃべることに慣れている。

 しかも、にこやかだ。

 にこやかな役人や貴族は、下の方と相場が決まっている。

 上と付き合うために、そのにこやかさを手に入れたのだ。

 エンチェルクのような平民にさえ、にこやかに近づいてこなければならない理由が、この男にはあるということ。

「ちょっと折りいってご相談が…悪いお話ではないはずですよ?」

 握らされた言葉は、とてもおかしいものだった。

 だから、エンチェルクはふふと笑ってしまったのだ。

 これまで、彼女にこんなに優しい言葉を投げかけるような男は、周囲にいなかった。

 誰も、自分を利用しようなんて思ってない人ばかりだった。

 勿論、彼女自身にそんな価値なんか、なかったのかもしれない。

 けれど。

 誰かを利用しようとする人間の声は、傍から聞くとこんなにも滑稽なのかと思ったら、笑わずにはいられなかったのだ。

「私にとっては、悪いお話のようです…さようなら」

 どうせ──買収の話。

 天の賢者あたりが、あの家の二人の武の化身を乗り越えて、ロジアにたどりつくための道として、エンチェルクを選んだだけのこと。

 テルも、あるいはいまの太陽をも、うまく説得出来なかったために、こんな搦め手に走ったのだろうか。

「待って下さい。お話くらい聞いていただいても」

 慌てて伸ばされる手を。

 するりとかわして振り返る。

「…!」

 何か、言おうとしたのに。

 驚きの余りに、エンチェルクは言葉を失った。

 男の後ろに、誰かいたのだ。

「面白そうな話をしているな…そのいい話とやらを聞かせてもらおうか?」

 フードもかぶらず、顔も隠さずに町を闊歩する、身分に合わぬ変わり者──ヤイクだった。
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