アリスズc

 イーザスは、何もしゃべらなくなった。

 目だけがギラギラと殺気だっているものの、テテラに対する愛情だけは揺るぎなく、ただ黙々と彼女を背負って歩く。

 その殺気だった目は、つい先日まで桃やリリューに向けられていた。

 だが、いまは何もない虚空に向けられている。

 テテラに問われた言葉が、どれほど彼の精神に深い痛みを与えたのか、そんな態度の変化から推察出来た。

 夜、彼女の片方の膝にすがって眠るようになったイーザスの姿は、まるでよりどころのない子供のように見えた。

 ロジアも、そうだった。

 彼女もまた、自分の居場所を作ろうと必死だったように思える。

 カラディも、そうなのだろうか。

 ふと、思い浮かんだその男を、桃は振り払った。

 人がみな、自分を好きなわけではない。

 多くの愛情を素直に受けて育った桃は、旅を通して身を持ってそれを知った。

 桃が考えるのは、彼が異国人であり、この国を害する働きをしている、ということだけでいい。

 もうすぐ、都へ帰りつく。

 そうすれば、こんなことを考える暇もない日々に戻れるだろう。

 母がいて、エンチェルクがいて、コーがいて、伯母もいる。

 ロジアと、そこにテテラが加われば、一気に女性密度が高くなる。

 静かな生活が送れるとは、とても思えなかった。

 そう考えると、少しだけ足が軽くなる。

 そんな旅路の歩みが、止まった。

 先頭をゆくリリューが、足を止めたのだ。

 不意の停止に、睨み上げるようにイーザスが顔を向ける。

「リリューにいさん…どうかした?」

 呼びかけに、微かに従兄の首が斜めに傾く。

 怪訝な様子だ。

 桃は、歩を進めて、リリューの横から道の先を見通す。

 まっすぐな道の、遠く遠くに荷馬車が見えた。

 飛脚ではないそれの御者は、何となく見覚えがあるような。

 近づいてくる内に誰なのか分かって、はっと従兄を見上げた。

「あれ…」

 桃も首を傾けながら、怪訝さを隠せないまま言葉を発してしまう。

「あれ…シェローにいさんだよね」

 シェローハッシュ──道場の兄弟子であり、軍令府の役人でもある男だった。
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