アリスズc

 その女性は、都の暑さにまいっていた。

 若く、そしてふくよかな身体を長椅子に預け、ただじっとして体力を取り戻そうとしている。

 エンチェルクは、冷ややかな井戸の水に布を浸して、その額に乗せてあげた。

「ありがとう…ございます」

 息も絶え絶え、といった様子だ。

 そんな彼女が、キクの家にいるのは──リリューを訪ねてきたからだ。

 テイタッドレック家の跡継ぎであるエインが、この女性を連れて、突然この屋敷を訪ねてきた。

 彼は、キクとの面会を求めた。

 進み出た足を止め、父親に習っただろう日本式の辞儀を見せた。

「お初にお目にかかります。エインライトーリシュトと申します」

 テイタッドレックの血は、彼の中にはっきりと現れている。

 本当の子でないというのが、信じられないほど。

「山本菊だ、よろしくな。ふむ、父親によく似ているな。しかも、父親の若い時よりデキが良さそうだ」

 キクは、快活に笑う。

 昔の、テイタッドレック卿のヤンチャぶりを思い出すかのような言葉に、エンチェルクも、ふと記憶を巻き戻してしまった。

 今の卿しか知らない息子からすれば、信じられない話だろう。

「いえ…まだまだ若輩者です。突然の訪問、失礼致します。どうか、しばしの間、稽古をつけていただきたく存じます」

 貴族でも何でもないキクに、エインは深い深い礼儀を示す。

 父親から、相当叩き込まれているのだろう。

「好きなだけいるといい。部屋を用意しよう」

「ありがとうございます」

 ひととおりの会話が終わった後、キクの視線が、彼の連れて来た、挨拶も出来ずに弱っている女性に向けられる。

「ところで…彼女は?」

 言葉が向けられたことに、ふくよかな女性は何とか会釈だけを試みる。

「ああ…イエンタラスー夫人のところで預かってきました…ここの子息に用があるそうです」

 エインの補足に、キクの視線が一瞬ジロウにいった。

 その後。

 宙を見つめるようにして、もう一人の息子を思い出す仕草をする。

「ついに、うちの息子にも…女が訪ねてくるようになったか」

 とてもとても──愉快そうだった。
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