アリスズc

「餅娘は、元気になったか?」

 キクは、彼女に奇妙なあだ名をつけていた。

 白くてぷっくりした肌を見ると、どうしても『餅』なるものを思い出すというのだ。

「少しずつ、元気になっては来てますね。暑さもそうですが、長旅の疲れもたまっていたのでしょう」

 答えながら、エンチェルクはロジアの方を見ていた。

 彼女は、ジロウの揺りかごを揺らしている。

 その揺りかごは、この屋敷の主──武の賢者の手作りだ。

 立場上、そんなことをする暇もないほど忙しいだろうに。

「それより…」

 エンチェルクは、少し気になるところがあった。

「それより、テイタッドレック卿の子息のことですが…」

 エインは、道場で知り合ったシェローの荷馬車に乗って行ってしまったのだ。

 東回りの街道を行くそれは、うまくすれば帰途についているモモたちと鉢合わせるだろう。

 もう少し待てば、彼女は帰ってくるというのに、わざわざ出向いて行ったのだ。

「どうも、モモに早く会いたがっているように見えて…」

 嫌な予感がするのだ。

 昔、彼の父に覚えたのと、似た感覚。

「弟だが、血の上では従弟だろう? 心配することじゃない」

 あっさりとしたキクの血縁談義に、エンチェルクはがっくりした。

 ああそうだ、こういう人だった、と。

「まあそう心配するな。うちの息子にさえ、女が訪ねてくるようになった…いつまでも子どもじゃないってことだ」

 薄く笑う剣の師匠は、見た目こそ確かに年を重ねはしたが、それ以外は何ひとつ老いて見えない。

 キクやウメが変わらない反面、エンチェルクは彼女らや時代の渦の中でもみくちゃにされ、何もかも変わった気がする。

「モモにまで、こんな心配をすることになるなんて…」

 いろいろ思い出していたら、自嘲の笑みになってしまった。

 そんなエンチェルクに。

 キクは、肩をすくめてこう言った。

「人の心配ばかりせずに、少しは自分の心配をしろ…シワが増えるぞ」

 意地の悪い、母の声にでも反応したのだろうか。

 ゆりかごの中で──ジロウがピギャーと泣き出した。
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