アリスズc

 ビッテは、悪い男ではなかった。

 貴族の息子でありながら、武で身を立てようとした男だ。

 骨太さと、武に対する真摯さがある。

 彼の中には、貴族としての誇りよりも大事なものがあるように思えた。

 エンチェルクが、野営のための食事の準備を始めると、ビッテは何も言わずとも、火をおこしてくれる。

 ヤイクは、自分は歩く仕事なのだと言わんばかりに、木に背を預けてだらけているというのに。

 彼女は、非常に助かっていた。

 テルは、そんな二人の仕事を、きちんと見ている。

 自分の従者が、きちんとやるべき仕事をしていることに満足そうな瞳で。

 この御仁には、決して野放しではない力強さがあった。

 本来ならば、イデアメリトスの世継ぎになるかもしれない人間である。

 おそれおおく、視線を投げることさえはばかられるはずだ。

 しかし、テルは昔からキクの門下生で、エンチェルクとは言葉を交わすことはほとんどなかったが、何度も顔を合わせている。

 彼の、ひたむきな剣術への打ち込みぶりは、その目に焼きついている。

 ビッテやエンチェルクが、野営の準備をきちんと仕上げようとする様を、剣術の稽古のようにまっすぐに見つめているのだ。

 あの太陽妃の、息子だけのことはある。

 彼女は、本当に規格外の女性だった。

 いろんなものを大きく逸脱している彼女の息子だからこそ、キクの道場に通うような男になったのだ。

「食事の用意が整いました」

 エンチェルクは、一日のうちに数えるほどにしかしゃべらない。

 事務的な言葉を、ようやく口にした。

 食事と言っても、保存食ばかりの味気ないものなのだが。

「世話をかける」

 堂々とした、ねぎらいの言葉。

 最近は、これが心地よくなりかけている自分に気づき、エンチェルクは何とか振り払おうとしていた。

 ウメならば、もっと優しくねぎらってくれるではないか、と。

 だが。

 彼こそが、この国を統べる人間の子。

 エンチェルクが、頭上に戴くべき子なのだ。

 その子が。

 心強き者でよかったと──ようやく、彼女は実感し始めたところだった。

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