アリスズc

 桃は、太陽妃と同じ部屋だった。

 いくら武の賢者宅とは言え、全員ひとりずつの客間を用意するには部屋が足りないのだ。

 こうして見ると、彼女は本当に小さかった。

 古い古い眼鏡を、大事に鼻の上に乗せて、暗い窓の外を見ている。

「座られたらいかがですか?」

 まるで誰かを待つように、じっと外を見ている太陽妃に、桃はソファを勧めた。

「ありがとう…でもね、外を見ていたいの」

 やんわりと、彼女は椅子を断った。

 暗い外など見ても、楽しいものなどありはしない。

 なのに、太陽妃はクスッと笑ったのだ。

「ハチが、駆けまわっているわ…狩りの練習でもしているのかしら」

 山追いのハチは、武の賢者宅で放し飼いされている。

 普段は、茂みに隠れているため、この屋敷に山追いがいることさえ気づかない人も多い。

 人気のなくなった夜、のびのびと遊んでいるようだ。

 そんな野生に近い獣を、しっかりと太陽妃は見つけていた。

 鼻の上にのせている硝子の眼鏡なるものは、それほどよく物を見られるのだろうか。

 日本から持って来たという、それ。

 彼女や母や伯母が生まれ育った、この世界ではないところの国。

「日本の話を…よかったら聞かせてくださいませんか?」

 母の口から聞いたことはある。

 伯母の口からも聞いたことはある。

 数多くではなかったが、自分の中に流れる山本の源流の話は、二人から聞くことが出来た。

 しかし、山本とまったく関わりのない太陽妃の知る日本の話は、聞いたことがなかったのだ。

 こんな機会は、もう二度とないかもしれない。

「日本の話…ふふふ」

 桃の申し出は、彼女を楽しませたようだ。

 何かを思い出したように、小さく笑う。

「私は、日本では小さなお店で、花を売るお仕事をしていたのよ」

 どうして、今こんなことになっているのかしらね。

 冬の終わりの雨の日に。

 彼女が、「いらっしゃいませ」と言った相手が──母と伯母だった。

 そんな、太陽妃の昔話。


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