アリスズc

 桃も読んだことのある太陽妃の物語は、捧櫛の神殿が作った本に記されている。

 美しい挿し絵と共に。

 その挿し絵を描いた男は、道場に時折居候しにくる。

 手土産に持ってきてくれたのが、その本だった。

『二人の侍女を従えて、太陽妃はこの国に舞い降りた』

 それが、一番最初の書き出し。

 扉の絵は、太陽妃の後方に控える二人の女性。

 一人は本を持ち、一人は刀を持っている。

 一人は、長い黒髪に着物姿。

 もう一人は、短い髪の袴姿。

 侍女の名など、本の中には出てこない。

 しかし、その絵をみた桃は、すぐに誰か分かった。

『これ、かあさま?』

 問い掛けに、母は『さあ、どうかしらね』と、はっきり答えなかった。

 でも、桃は疑わなかった。

 時折、太陽妃が母を訪ねてくるのを知っていたからだ。

 ただ。

 侍女というのは、嘘だと分かっていた。

 太陽妃を特別に記すために、そう書かれたのだろう。

 母と太陽妃は、とても親密だった。

 形式上の儀礼は取るが、お互いの存在をとても大事にしているのが伝わってくるのだ。

 小さい小さい太陽妃。

 だが、彼女が成し遂げた偉業は、この国を歩いてゆけば、必ず見つけることが出来る。

 穀物畑を、見ればいいのだから。

『太陽妃は、やせた畑を水で満たすようにおっしゃりました。するとどうでしょう。畑はみるみる甦り、金色の豊かな実りを迎えたのです』

 いまや、農業を営む家庭で、収穫後に畑に水を入れるのは、当たり前のことだ。

 その涼しさに誘われ、水入れの日には、小さな祭が行われるほど。

 都の外畑の水入れには、太陽妃は必ず出席されるのだ。

 農民たちは、みなそれを知っている。

 太陽妃がいる限り、豊作を約束されていると信じているのだ。

 生きながらにして、ハレの母は伝説となった。

 母も、たくさんの仕事を成し遂げた。

 そんな日本人の血を引く自分には、何が出来るのか――まだ分からなかったけれども。
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