アリスズc

「エンチェルク…あなたに手紙よ」

 ウメに差し出されたそれを、彼女は怪訝と共に受け取った。

 誰からだろう、と。

 もはや、ロジアを見張る必要もなくなった彼女は、ウメとロジアの間を行ったり来たりしながら、知識の蓄積と異国の情報の収集をしている。

 いま、自分に出来ることが、それだろうと自分なりに考えた結果だ。

 そんな生活を送っている彼女に渡された手紙は──差出人を見て、一瞬呼吸が止まりそうになった。

 信じられない名が、そこには綴られていたのだ。

「ありがとうございます」

 動揺を気づかれないよう、ウメに礼を言う。

 動揺している自分が、恥ずかしかった。

 こんなこと、ウメにとっては何でもないことなのに、と。

 何もかも知っているような笑みを、穏やかに受け止める心は、いまのエンチェルクにはない。

 そして、ここで手紙を開ける勇気もない。

 どこか。

 誰もいなくて、誰からも見られないところで読みたかった。

 この手紙に、自分がどう反応するか、自分でさえよく分からないのだから。

「では、失礼します」

 ウメに、どれほどこの心が漏れているかなど、考えることも出来ず、可能な限り静かに彼女の部屋を出た。

 いまのエンチェルクは、テテラと同じ部屋で生活している。

 もしもの時に、彼女には助けが必要だったし、テテラに執着しているイーザスが、無茶なことをしに来るかもしれないからだ。

 ただ、昼間はキクの部屋にいることが多い。

 そこには、ジロウがいるからだ。

 一緒に子守をしながら、彼女は裁縫などをしている。

 自室に戻ると、やはり誰もいなかった。

 扉を背に、自分の呼吸を整える。

 エンチェルクは、もう一度差出人の名前を見た。


 ヤイクからだった。
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