アリスズc

「長いようで、短い20余年でした」

 テイタッドレック家で、出会った頃はまだ10代後半だった。

 あの日、ウメに名前を聞かれた時から、エンチェルクの人生は変わったのだ。

 自分に鎖をつけて、ウメの側にいようとした日々は、テルとの旅で変貌した。

 鎖なんかなくても、自分で立てるようになったのである。

 だから、これはそう遠くなく来る日だった。

「あなたに会えたあの日を、私は死ぬまで忘れません。都までの旅路も、都での生活も何もかも忘れられない思い出です」

 自分の旅立ちを、微笑みの涙で見送ってくれるウメに、数多くの言葉を並べ立てたところで、何の意味もない。

 こんなことなど、彼女はちゃんと分かってくれている。

「私もよ…エンチェルク」

 ウメもまた、自分とのこれまでの生活を大事に思っていたという。

 ああ、何て幸せなのだろう。

 深く長い絆が、しっかりとつながれている。

 それが、いまの一瞬だけ、エンチェルクに姿を見せてくれたのだ。

 その綱さえあれば。

 離れることなど、何も恐れることはない。

 ウメとキクが、何のためらいもなく離れることが出来る意味と同じものが、いま自分と彼女の間にもあるのだ。

 これを、幸福と言わずして、何というのか。

「ウメ…サヨウナラ、です」

 本物の日本語のように、美しい発音は出来ない。

 けれど、心は伝わるはずだ。

 同じ都にいるのだから、会おうと思えばいつでも会うことは出来る。

 だが、これは心のけじめ。

 昔の自分と、今の自分を分ける大事な言葉だった。

「ええ、エンチェルク…さようなら」

 美しい、本当に美しいウメの言葉に含まれる、優しいあきらめの音。

 こんな切ない気持ちを、優しい別れの言葉で、緩やかになだめるのだ。

「今度は…私が会いに行くわね」

 立ち去ろうとしたエンチェルクに、最後に渡された言葉は、彼女の喉元に熱いものをこみあげさせてしまい、うまく返事が出来なかった。
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