アリスズc

 唇が、動く。

 桃は驚きながらも、歌を続けた。

 彼女の歌を追うように、少女の唇が微かに動き始めたのだ。

 ただ。

 唇が、自分のものとはずれていた。

 最初は、違う歌を歌おうとしているのかと思ったのだ。

 だが、そうではなかった。

 桃の歌う歌詞を、遅れて彼女の唇がなぞっているのだ。

 歌う唇や歌詞を、そのまま自分の唇に遅れて移しているかのように。

 次第に。

 唇の動きが、しっかりしてくる。

 音は生まれないが、明確な意思をもって桃の歌を追ってくる。

 ああ、ああ。

 間違いない。

 彼女は、トーの一族だ。

 桃は、確信した。

 まだ意識もはっきりしていないはずなのに、桃の歌を確実に捕まえたのだ。

 歌を、止めることは出来なかった。

 桃は、彼女の両手を取る。

 体温が戻りきっていない冷たい手を、ぎゅっと握りながら、歌い続ける。

 夜の終わりの歌。

 朝の始まりの歌。

 彼女は、目覚めるべきなのだ。

 しっかり目を覚まして、ここにいる人たちを見て欲しかった。

 歌が。

 終わる。

 少し遅れて、少女の唇も止まる。

 ええとええと。

 桃は、他の歌も思い出そうとした。

 せっかく、彼女が歌に反応してくれたのだ。

 もっと歌って、意識を取り戻して欲しかった。

 なのに、慌てる余り、桃は歌を思い出せない。

 少女が、瞳を閉じる。

 ああっ!

 まだ昏睡してしまうのではないかと、桃が心配した次の瞬間。

「───」

 初めて、少女の声がその唇からこぼれ落ちた。

 夜明けの歌が、そして始まる。

 自分の歌とは、比べ物にならないほど──美しい歌声だった。
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