アリスズc

「私の親戚の方…何故このようなことを?」

 テルは、時間を稼ぐために無駄話を始めた。

 彼女の意識を散らし、エンチェルクの接近を少しでも気づかれないようにするためだ。

 そして。

 髪を一本──右手に巻いた。

 彼らの魔法は、髪を必要とする。

 長い髪ほど、力をたくわえていて強い。

 そう言われているのだ。

 だから、イデアメリトスの正式な傍系と認められなかった一族は、すべて髪を短くしていなければならない。

 結わえるほど伸ばすのは、反逆の証なのだ。

「何故? 何故…くくく…私が、イデアメリトスだからよ。半分しか我らの血を引かぬ者」

 空の割れる気配を察知し、テルは地面に伏せた。

 ピシィッと空気を切り裂き──雷が降り注ぐ。

 幸い、テルの機転と、さしたる強さではなかったおかげで、彼はそれを食らわずにすんだ。

 これは、場の技。

 彼女は、己の姿を見せないように木陰に隠れている。

 逆に言えば、テルの姿をいま確実に視認しているわけではないのだ。

 ということは。

 彼は。

 伏したまま、動かなかった。

 全神経を、周囲に張り巡らせる。

 相手は、武術家ではない。

 相手は、ただ魔法の力に頼るのみの女。

 そして、エンチェルクは──気配を消している。

「………」

 シンと、静まり返る。

 気が。

 気が、動く。

「………!」

 瞬間。

 テルは、横っ飛びに跳ね起きた。

 ドンッと鈍い音と共に、彼の倒れていたところに水の玉が炸裂する。

 個の魔法!

 そして。

 ついに、テルは見た。

 髪は、背の真ん中ほど。

 年の頃は三十ほどの──まごうことなき、イデアメリトスの容姿を持つ女を。
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