アリスズc

「追わなくていい」

 落ちた女を追おうとするエンチェルクを、テルは止めた。

 とりあえず、最大の脅威が去ったことは間違いない。

 まずは、全員がそのことを確認し、しっかりと立て直すべきだった。

 まだビッテは、起き上がれないのだから。

「やれやれ」

 余分な仕事をしたとばかりに、ヤイクが林から出てくる。

 政治肌の男も、役に立つものだ。

 テルは、彼のことを見直した。

 今回の敵は、イデアメリトスで。

 既にビッテが落とされた状態まで含めて、ヤイクは計算したのだろう。

 一度しか使えないテルの魔法と、エンチェルクの剣術。

 そして、結論を出したのだ。

『負けるかもしれない』、と。

 負ける=旅の失敗=死。

 彼は彼なりに、それを回避しようとしたのである。

 そして、ビッテ。

 テルが彼に近づくと、場の眠りの魔法は失せていた。

 既に、女の魔法の効力は切れたのだろう。

 しかし、眠りの魔法を食らった事実は消えない。

 すぐには、目覚めないはずなのに。

「これの、おかげです」

 彼は、焦げた自分の衣服を見せる。

 わき腹の部分だった。

 女の放った場の雷が、彼の身をかすめたのである。

 その痛みと衝撃のおかげで、ビッテは強制的に覚醒した。

 素早く動けなかった彼は、ただ必死に弓を撃ったのだ。

 三人が、それぞれテルの手元に戻ってくる。

 その感触を確かめて、彼はようやく大きな吐息を一つこぼすことが出来た。

 それぞれが、それぞれでやるべきことをしっかりとやったのだ。

 ただの1人が欠けても、これほど素晴らしい結果は出せなかっただろう。

 イデアメリトス相手に、テルは魔法を使わずに、誰も失わずに勝ったのである。

「皆が俺の従者であったことを…本当に誇りに思う」

 愛しかった。

 彼ら全てが──愛しくてしょうがなかった。
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