アリスズc

 死体は、見つからなかった。

 林の奥は、深い谷になっていて、それ以上の捜索は出来なかったのだ。

 死んだ、と思いたいな。

 それは、テルの正直な気持ちだった。

 女は、テルを憎んでいた。

 彼を、イデアメリトスと認めていなかった。

 それは、長い間純血を保ち続けていた一族ゆえの、歪んだ感情だったのかもしれない。

 同時に、ひっかかってもいたのだ。

『おのれ、半分め! 半分め! 泥棒女の息子め!』

 激痛のままわめきちらした、女の言葉。

 母のことを、『泥棒女』と叫んだ。

 ということは。

 母の登場によって、父を奪われたということか。

 父の妃候補だったのかもしれない。

 次の町に着き次第、飛脚を走らせなければ。

 テルは、ため息をついた。

 幸い。

 ビッテのわき腹の火傷は、大したことではなく。

 テルが母から持たされた薬で、応急処置は出来たし、旅も問題なく続けられそうだった。

「太陽妃の薬ですか」

 ヤイクは、興味深そうに覗きこんでくる。

「太陽妃は、農業の本だけでなく、植物や薬の本もお書きになった方がよろしいと思いますが」

 その言葉に、テルは笑ってしまった。

 太陽妃を捕まえて、本を書けなどと勧めるのは、この世広しと言えども、ヤイクくらいだろう。

 母の同胞を除いては。

「あいにく、母の身はひとつしかなくてな…そして、母はとてもゆっくりな人だ」

 テルの苦笑まじりの答えに、ヤイクはニヤっと笑う。

「何も、全てを太陽妃がなさる必要はないのです。妃の知識を吸収できる側仕えを、置けばよいではありませんか」

 ああ。

 そうだな。

 ヤイクも──そうだったのだ。
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