アリスズc

「スエルランダルバ卿は…意気地のない男とばかり思っていました」

 そう言えば。

 こうして、ゆっくり二人で話す機会というものは、ほとんどなかった気がする。

 テルは、ビッテと話しながらそう考えていた。

 そんな彼の口から出るのは、スエルランダルバ卿という男。

 ヤイクの名である。

 彼は、既に貴族だ。

 だが、野心ある貴族だった。

 旅をすることで見識を広める──勿論、その意図もあるだろう。

 その先に、『賢者』という職があるかもしれない。

 それもまた、彼の野心の計算に入っているのは間違いなかった。

「しかし、卿は彼女の命を救いましたよ…ね」

 ビッテは、思い出しているのだ。

 あの、反逆者との戦いのことを。

 ああ、そうか。

 彼もまた、目覚めていたのだ。

 あの時には。

 ヤイクが、エンチェルクを救った。

 その表現が、正しいのかどうかは、テルには分からない。

 女の意識が、全てエンチェルクに注がれて、武術の腕のないヤイクに千載一遇のチャンスが回ってきた。

 それだけだったのかも。

 しかし、結果的にはエンチェルクは救われたのだ。

 その間、ビッテは起き上がることもままならず、どれほど悔しい思いをしたことだろうか。

 テルでも、そうだったろう。

 起きろ、動け、立て、と自分をどれほど叱咤するだろうか。

 戦える人間が、戦うべき場で、戦えなかったのだ。

 悔しくないはずがない。

「ビッテルアンダルーソン…」

 テルは、武の従者の名を呼んだ。

「ヤイクルーリルヒは、無駄なことはしない男だ。その男が戦う気を見せない時は…お前なら勝てると信頼しているということだ」

 ビッテは、「はい」とそれを噛みしめるように答える。

 これは、少々大げさな表現だと、テルは分かっていた。

 だが、いまのビッテに必要なのは、次の戦いへ新たに気持ちを切り替えることである。

 あまり、彼がヤイクに一目置くようになっては、本当は危険なのだが。

 何故なら。

 ヤイクは、そんなビッテの純粋な心理さえ──うまく利用できる男なのだから。
< 91 / 580 >

この作品をシェア

pagetop