短編集
「私は、もう大丈夫、だからさ、長く憬子の、傍にいて、あげてよ……」
「紗和」
 私の名前を口にして、貴ちゃんは手を止めた。ふっと見上げたその顔は斜陽の陰になって、表情を窺うことは出来ない。

 太陽がいきなり沈んでしまったのかと思った。それほど突然に訪れた闇の正体は、貴ちゃんのシャツ。
「たか、ちゃん?」
 声は貴ちゃんの胸や腕に消されてしまう。体を動かそうにも、ぎゅっと押さえられていて動けない。否、私は貴ちゃんに抱きしめられている。
 一体、何のつもりなんだ。

「憬子と付き合ってたのは、もう昔の話だよ」
 その声が胸から響いて私の耳に入る。
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