短編集
「……だった。でもそれは、貴ちゃんしか男の子を知らなかった頃の話だよ」
 そう、東京での暮らしで、私の世界は広がった。お酒の味も覚えたし、そう、男の人の体も知った。

「なんだ……」
 貴ちゃんの目の輝きがかげる。小さく笑った。
「そっか……そうだったんだ」

 貴ちゃんと向き合っているのが辛くて、窓へ向かった。窓を開け、外の風を入れた。
 窓の外、どこかで蝉が泣いている。向日葵の丘はこの窓から見えない。夏の黒い雲が、空を覆い始めている。
「夕立が来そうだよ」
 伝えるために振り返る。
「……貴ちゃん?」
 しかしそこに、貴ちゃんの姿は無かった。ハンガーに提げた喪服が、冷たい風に揺れる。雨が降り出した。嫌な胸騒ぎがする。

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