1970年の亡霊
 馬美英(マー・メイイン)は、請け負ってしまった仕事を今になって後悔していた。

 どの国の人間も、役人とか役所というものが苦手である。しかも、彼女のような不法滞在者ならば尚更だ。

 幾ら入国管理局や警察ではなく、自国の大使館だから心配無いとはいっても、この所の日中間に於ける不穏な空気から、大使館周辺はいつも以上に警備が厳しい。

 そんな所へのこのこと近付くのは、自殺行為に等しいとも言える。

 単に品物を届けるだけだから、何も心配は要らないとあの男は言っていた

 日本へ来て、かれこれ五年。異国の地で信用出来るのは、金だけ。同国人でさえ信用して来なかったのに、何故か初対面の日本人を信用してしまった。男の話を何もかも信用した訳ではない。支払われる金額に気持ちが動いたのも事実だが、それ以上に日本人の国籍を取れると言われた事の方が大きかった。

 男は、予め大使館に話を通して置くから、正門で指示された通りの名前を告げれば大丈夫だとも言った。

 馬美英が大使館の門衛に、

「マオの店から来ました」

 そう告げると、門衛は直ぐに電話で確認してくれた。

 五分ばかり待たされたが、この時が一番緊張した。


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