1970年の亡霊
 退院は加藤の方が早かった。元々の体力的な面もあっただろうが、銃創の方が刃物より肉体へのダメージが大きいという事なのであろう。

 加藤が退院の挨拶に顔を見せた時、三山は喜多島事件を総括した記録書を読んでいる最中だった。

「ここんとこずっと本に首っ引きだな」

「ヒントがあるかなと思って」

「ヒントって、例の件か?」

「ええ。ねえ加藤さん、喜多島事件の時に自衛隊の中には、彼に賛同する人間は居なかったの?」

「事件があった時は、俺もまだ子供だったから詳しくは知らないが、一人も居なかったから、喜多島は落胆して自殺したんだろ」

「当事の新聞や雑誌、書物などを読んでもそうなっているけれど、ちょっと腑に落ちないのよ」

「何処が?」

「彼が事件の五年前だかに創設した『剣の会』は、他の右翼団体と違って、会員を自衛隊に体験入隊させたりしているし、自衛隊側もすごく協力的だった。その理由は、喜多島が憲法改正論者で、日本は軍備を拡張して自衛隊を真に国防の軍隊にしなければ、迫り来る社会主義勢力に呑み込まれると考えていた。だとすると、彼は自衛隊の代弁者みたいな存在だったのに……」

 当時、ベトナム反戦の気運も高く、自衛隊は無用の長物であるとか、軍国主義復活の象徴とも揶揄されていた。そんな中で、数少ない擁護者であった喜多島由夫と、彼が率いる『剣の会』は既存の右翼団体とは一線を引かれた団体であった。自衛隊と喜多島は、蜜月関係だった筈だ。

「いざ自衛隊の為にと考えて行動した喜多島に、隊員達は誰一人とし応えなかったのは何故?」

 と、三山は自分が抱いた疑問を話した。
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