1970年の亡霊
事件記録によると、喜多島と剣の会四名は、市谷駐屯地に出向き、当時の統合幕僚長に面会を求め、自衛隊の決起を促そうとした。だが、応対に出た東部方面司令官は、喜多島らに不穏な行動を起こされてはいけないと考え、取次ぎを断った。喜多島は面会を断られ、激怒して東部方面司令官を日本刀で切り付けた。そして、市谷の方面軍司令部室を占拠し、駐屯地内の自衛官達を直接決起させようと考え、広場に全員を集合させた。
喜多島は、自らが説けば自衛官達は賛同して共に決起してくれるであろうと信じていた。檄文を司令部のバルコニーから撒き、一時間以上に渡って彼は眼下に集まった隊員達に説いた。
この時、広場に集まった隊員達には、事の詳細がちゃんと伝わっていなく、方面軍司令官が喜多島に切られたという話しか伝わっていなかった。
自衛隊員は皆、駐屯地内に乱入しただけでなく、方面軍司令官に大怪我を負わせた事に激怒し、喜多島が演説中は終始罵声を浴びせていたという。当時のニュース映像にもそのシーンが映されている。
「ようは一作家の誇大妄想に付き合ってらんねえと隊員達は思ったんだろ」
「でも、ここに面白い記録が残っているの。加藤さんが言ったように、バルコニー下に集まった隊員が、喜多島の演説に罵声を浴びせていたとあるけれど、当時、駐屯地上空を何機も取材ヘリが飛んでいて、その音のせいで演説の内容は殆ど聞き取れなかったらしいって」
「その本に書いてあるのか?」
「ええ。事件の関係者ばかりを取材した本が多い中で、これは喜多島の演説を聞かされた隊員達ばかりを取材した本なの。これを読むと、一部の隊員の中には、もっとやり方があったのではないかという意見もあるのよ」
「それが、四十年後の今とどう繋がると言うんだ?」
喜多島は、自らが説けば自衛官達は賛同して共に決起してくれるであろうと信じていた。檄文を司令部のバルコニーから撒き、一時間以上に渡って彼は眼下に集まった隊員達に説いた。
この時、広場に集まった隊員達には、事の詳細がちゃんと伝わっていなく、方面軍司令官が喜多島に切られたという話しか伝わっていなかった。
自衛隊員は皆、駐屯地内に乱入しただけでなく、方面軍司令官に大怪我を負わせた事に激怒し、喜多島が演説中は終始罵声を浴びせていたという。当時のニュース映像にもそのシーンが映されている。
「ようは一作家の誇大妄想に付き合ってらんねえと隊員達は思ったんだろ」
「でも、ここに面白い記録が残っているの。加藤さんが言ったように、バルコニー下に集まった隊員が、喜多島の演説に罵声を浴びせていたとあるけれど、当時、駐屯地上空を何機も取材ヘリが飛んでいて、その音のせいで演説の内容は殆ど聞き取れなかったらしいって」
「その本に書いてあるのか?」
「ええ。事件の関係者ばかりを取材した本が多い中で、これは喜多島の演説を聞かされた隊員達ばかりを取材した本なの。これを読むと、一部の隊員の中には、もっとやり方があったのではないかという意見もあるのよ」
「それが、四十年後の今とどう繋がると言うんだ?」