1970年の亡霊
 陸上自衛隊対テロ特殊部隊によるテロ一味のアジト制圧は、治安出動の気運を加速させた。異を唱える者は、異分子扱いになり、ある種国家への反逆者的な見方をされた。

 首都圏一帯に部隊を展開していた東部方面軍第一師団は、災害出動という形で最初は武器の携行をしていなかったが、この件以降武器の携行を許された。理由は、テロ実行犯が北朝鮮だったという疑いが濃厚になったからで、北からの工作員がまだ多く潜伏していると見られたからだ。暴徒鎮圧とテロ組織の殲滅。それが新たに自衛隊へ課せられた任務となった。

 強盗殺人で無期懲役の罪を受けていた重松は、10.1テロの翌日、務めていた刑務所が爆破テロに遭い、混乱に紛れて脱獄した。

 重松と一緒に何人もの囚人が脱獄し、交番を襲って拳銃を奪った。

 その拳銃を使って銀行や商店を襲い、強盗を繰り返した。

 警察は、彼等だけではなく、他にもあちこちで強盗や強姦事件が発生していて、対応に追われていたから、重松はやりたい放題だった。

 コンビニやスーパーでは金など払わない。商品を山ほどレジへ持ち込み、財布の代わりに銃を出す。

 レジ係りは、重松が言いもしないうちから売上金を差し出した。

 その時も、仲間五人と酒屋へ入り、缶ビールをカゴ一杯にしてレジへ持ち込んで、拳銃を店員へ向けた。

「支払いは弾になるが、構わないか」

 店員は、恐怖で反射的にその場から逃げようとした。

 重松は躊躇いもせずに引き金を引いた。
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