1970年の亡霊
 米田敦夫が役所の業務を終えて庁舎を出た時には、既に時計の針は夜の七時を回っていた。

 そのまま真っ直ぐ家へ帰ろうかとバス停近くまで歩いたが、数日前に陳情へやって来た新庄某が言っていた事を思い出した。

 廃校になっている問題の学校へは、反対方向のバスに乗らなければならない。横断歩道を渡り、反対側のバス停へ歩いた。

 バス停で時刻表を見ると、五分後にバスがやって来ると判った。

 米田はケータイ電話を取り出し、家へ帰りが遅くなると伝えた。丁度電話を終えた時にバスがやって来た。駅から家へ帰る通勤客で満員となっていたバスに乗り込んだ。

 米田が乗った時はぎゅうぎゅう詰めの満員だったが、問題の学校に近付くに従い、乗客がどんどん減って行き、バスを下車した時には停留所で降りた客は米田の他に二人しか居なかった。

 バス通りから入り組んだ路地を何本も曲がり、十分程歩いて漸く廃校の前へ出た。

 灯りらしき灯りの無いこの辺は、大都会東京とは言っても少し歩けば埼玉との境になる。昔から余り風紀の芳しくない土地柄で、少年犯罪の多発地帯とも言われ続けて来た。

 ヤンキーと称する少年達が、夜毎コンビニの前でたむろしたり、原付スクーターを改造し、騒音を撒き散らかしながら走り回る。米田自身、何度かそういった場面を目の当たりにして来た。

 問題の廃校も、今のNPO団体が来るまでは、校庭で焚き火をされたり、校舎の中に無断で入り込まれたりと悩みの種であった。

 住宅に囲まれたその学校は、ひっそりと闇の中に佇んでいた。

 人の気配がまるで感じられなかった。

 米田はおかしいなと思った。確か、校内には二十四時間必ず誰かが居るという話の筈だったが。

 正門の方に回ってみた。鉄製の門扉には太い鎖が厳重に巻かれてあり、物々しい雰囲気を感じさせた。

 じっと目を凝らし、校舎を見つめた。闇の中に浮かぶ建物は、まるでホラー映画にでも出て来そうな趣に見える。

 何と無く薄ら寒さを憶えた。と、その時、首筋に気配を感じ、瞬間彼は衝撃を受けその場に昏倒した。


 
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