1970年の亡霊
 APECを明日に控えた横浜MM地区(みなとみらい)は、全国から増援された警察官達で、蟻一匹入り込めない程の警備大勢が敷かれていた。

 この地区の上空は、半径5キロ圏内が飛行禁止区域とされ、更に海上には横浜水上警察署の警備艇が遊弋し、沖には海上自衛隊の護衛艦が横須賀から出港して来ていた。

 これら警察の警備体制は、一日当たり二万一千名というこれまでにない人海戦術での動員が為されたが、任に当たっていた警察官達は物々しさとは裏腹に、然程緊張感を持っていた訳では無かった。

 それも彼等の立場を思うと判らないでは無かった。

 理由は、同じく警備の任に当たっていた自衛隊の存在にあった。

 自衛隊は、東部方面軍第一師団の殆どと、新たに召集された予備自衛官の部隊が、装甲車両で引っ切り無しに周辺道路を我が物顔で巡回警備していたからだ。

 警察の出番はないよと言わんばかりに、各所の警備にも口を挟む彼等に、警察官達は閉口した。

 本来、自衛隊には逮捕権は無い。だがAPEC開催が近付くと、路上警備に当たっていた彼等は、不審車両をいきなり止めてみたり、路地裏で不審人物を捕らえたりし始め、トラブルが増えて来た。

 そんな中、桜木町方面からスピードを上げてMM地区へ向かう自衛隊の一団があった。

 三台の装甲車と二台の兵員輸送トラックで赤レンガ倉庫の前に乗り付けた部隊は、予備自衛官で編成された部隊であった。

 迷彩服の袖に真新しい部隊章を縫い付けた彼等は、赤レンガ倉庫一帯に警備布陣を敷いた。彼等の主任務は、周辺に点在する横浜税関等の巡回警備及び海上からの侵入者を防ぐ役目である。

 部隊の警備配置を部下達に指示した日野二尉は、自らも周辺パトロールを行なった。

 貨物船用の桟橋付近に来た日野二尉は、突然後方から発せられた発射音に、一瞬何事かと思い身構えた。
 
< 269 / 368 >

この作品をシェア

pagetop