1970年の亡霊
 足立区郊外の廃校跡地で起きた大規模な銃撃戦は、警視庁とそれを統括する警察庁側の情報規制もあって、一切の真相が伏せられた。

 マスコミ各社はこの事について、言論統制だと新聞やTV等で厳しく非難した。

 園田は綻びを感じ始めていた。

 自衛隊の存在意義を世に知らしめる為に立ち上がった。その事で尊い命が失われるであろう事も覚悟の上だった。

 だが、APEC会場付近での銃撃戦、それに続く足立区郊外の銃撃戦。いずれも本来予定には入れていなかったオペレーションであった。

 全てを他人のせいにするつもりは無い。予定には無かったといっても、こういった事態が起こり得るものとして、想定はしていたからだ。

 本来の目的は、純粋に自衛隊を決起させて国軍として、真のあり方を問うものであった筈だ。

 近年、これまでの災害出動やPKOに於ける人道支援といった、地道な活動が大多数の国民に認められるようにはなった。

 だが、それが国軍としてのあるべき姿になって来たかというと、それはYESとは答えられなかった。

 そういった園田の鬱積は、横須賀少年工科学校在学時から芽生えたものであった。当時はまだ自分の気持ちに気付いていなかった面があったが、防衛大学校へ進んでから、それがはっきりと見えて来た。

 周囲を見渡してみても、真に国防の担い手として防大を選んだ人間は少なく、将来の防衛官僚を目指すような輩まで居た。

 横須賀少年工科学校の繋がりから、垣崎剛史二佐と出逢い、つるぎ会の存在を知った。

 そこには、自分と同じように真に国を憂う者が集まっていた。私欲とは無縁の人間が居た。その純粋さに触れた時、園田はやっと自分の存在意義を見出せたのであろう。

 だが、無私無欲の清廉さは、私利私欲の権化達の手で汚されてしまった。

 今更ながらにその事を気付いた園田であった。

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