1970年の亡霊
 大倉病院は然程大きな病院ではない。ただ、旧館をそのまま使用すればかなりのベッド数にはなるが、建物の老朽化と昨今の人手不足の為、新館のみで入院患者を受け入れていた。

 レンガで組まれた旧館は、その外観と都心でありながら周囲を木々で囲まれた静かな佇まいもあって、よくドラマや映画のロケに使われた。新館との通用廊下を閉ざせば、完全に独立した建物になる構造も、一般患者や見舞い客に撮影を邪魔されたくない点で好都合だったのであろう。

 その旧館に二日前から、一人の患者が転院して来た。

 詳しい事を知っている関係者は、この病院の理事長と院長を除いて一人も居ない。

 搬送して来た者達が、治療から看護まで全て行っていたのだ。

 普段から旧館へは誰も近付かないから、そこに人間が居る事すら知られなかった。

 この患者こそ、SAT隊員の草間と加藤達が命懸けで身柄を確保した人物であった。

 当初、足立区内の救急病院へ搬送したが、警視庁はこの人物の存在を秘匿する事にした。理由は、安全確保であった。

 マスコミへの緘口令は、つまるところ、この人物の生存を知られたくないが為に取った措置とも言えた。

 廃校で身柄を確保した時点で、この人物の状態はかなり危険であった。

 殆ど心肺停止状態となっていて、仮に命を持ち堪えたとしても、植物人間で一生を終えるであろうと思われた。

 それがどうにか危険な状態を脱すると、警察側は即座に身柄の転院を考えた。当初は警察病院へとの案も出たが、逆にマスコミなどの目に付き易いとの判断で、幾つかの候補が挙げられた。

 この大倉病院を転院先にしたらどうかと言ったのは、河津であった。


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