1970年の亡霊
 河津がこの病院を知っていたのはほんの偶然であって、学生時代に外来で一度利用した事があったという程度の繋がりであった。

 そういう事から、理事長と院長は最初警視庁からこの患者の受け入れを打診された時は、何故この病院が?という思いがあった。

 警視庁側は、医師、看護師、治療器材、薬品、食事も含めて全てこちらで用意するから旧館そっくり無期限で貸して欲しいという要望を出して来た。

 病院側とすれば、そこまでやってくれるのであれば、相手が警視庁という事もあって承諾をした。

 旧館への人の出入りは、外部からは全く判らなかった。それには理由があって、この旧館の裏手に院長の自宅が隣接していて、捜査関係者の出入りは全員この家を利用していたからである。

 その出入りもごく少数で、関係者の大部分は旧館に泊まり込んでいた。そういった面でも、使っていない病室が数多くあるから、正に打って付けの病院だったと言えよう。

 三階建ての旧館の最上階。恐らく、元は一番室料の高い病室であったのであろう。

 そこを使った。一階に捜査官達が泊り込み、二階が医師や看護師達(全員警察病院から派遣させた)の宿泊用。

 VIP患者専用病棟ともいえる三階の、ロビー、階段、エレベーター、非常口、そして新館との通用口などには、24時間体制で捜査員を配置した。

 ここへ、三山も加藤と一緒に詰める事になった。特に三山の場合、転院が決まった時点で、先に捜査資料と数台のパソコンを明大前のセーフティハウスから移動させる為に一週間前から泊まり込んでいた。

 意識不明で確保された男の身元は、まだ判っていない。これが前科者とかであるならば、指紋や写真のデータがあるが、その男はリストには載っていなかった。

 意識こそ回復したが、男は一切を語ろうとしない。外見上の年齢は五十代位と推測された為、三山はその年代の自衛官で身許を当たるしかないと考えた。それは気が遠くなるような作業になるなと思った。


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