1970年の亡霊
「昭和十一年二月二十六日、東京の近衛第一師団、第一連隊が、永田町と霞ヶ関を占拠した……」

 いきなり重く低い声で語り出した垣崎に、一瞬、彼は一体何を言っているのか判らなかった。

 三山の反応を窺うように、垣崎の目が瞬きもせず彼女を見つめた。

 三山は昭和の歴史に刻まれた事件を思い出した。

「2.26事件…ですね?」

「……喜多島は、あの日2.26事件で決起した青年将校達に、自分を重ねていた」

「事件後のルポをまとめた記録で読みました」

「三山さん……」

「はい?」

「十一月二十五日……我々がこれまでとって来た行動を振り返れば、私が何故2.26事件を引き合いに出したか判る筈だ……」

 三山は瞬時に理解した。

「垣崎さん……」

「真相を知らされないまま、反逆者の汚名を着せられる兵を出させたくない……私の、私の指導した自衛官達に、これ以上道を誤らせたくない……」

 そこで言葉を呑み込んだ垣崎の、呻くような嗚咽が三山の耳に届いた。

 閉じられた瞼から溢れ出た涙が、彼の老いた肌を蛇行し、首筋から枕へと流れ落ちた。

「今なら、まだ間に合う……」

「はいっ!」

 垣崎に促され、三山は部屋を飛び出して行った。




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