1970年の亡霊
あとがきと訂正
これまで書いて来た作品では、大概完結直後にあとがきを書いていました。作品を書き上げた余熱……この言葉が好きで、感想ノートに書かれたコメントへの返事などに、よく使いました。その余熱が、これまではあとがきを書かせていたように思います。
今回も、完結したらあとがきを書くつもりで居りました。しかし、今回はとても書ける状態ではありませんでした。少し間を置き、一回目の推敲してからあとがきを書こうと思い、結局脱稿から二日経ってこれを書いて居ります。
作品を書き上げた直後というものは、作品の満足度とは関係なく達成感が全身を覆うものです。出来がどうとか、あそこをこうすれば良かった…という思いは、時間が経ってから生まれてくる感情であって、どんなに不出来な作品であっても、最後の一文を書き込めた瞬間に訪れる達成感は、脳内温度を沸点まで引き上げてくれます。
ところが、今回はこれまでとは違う感覚が脱稿後に生まれました。脱力感……大げさでは無く、数分間というもの、本当に何も考えられない状態となって居りました。
ファンメールを読んで頂いていた方々には、事前にお知らせして居りましたが、この作品はあるこだわりをもって完結予定日を決めていました。このこだわりは、書き始めた当初には無かったもので、はっきりと意識し始めたのは、書き進めている内容が自然と現実の社会情勢にリンクしだしてからでした。ならば、リアルタイムで現状の社会情勢とシンクロ(同調)させてしまえ、となり、三島由紀夫が四十年前に引き起こした事件の日をこの作品の完結日にしたくなったのです。
今回も、完結したらあとがきを書くつもりで居りました。しかし、今回はとても書ける状態ではありませんでした。少し間を置き、一回目の推敲してからあとがきを書こうと思い、結局脱稿から二日経ってこれを書いて居ります。
作品を書き上げた直後というものは、作品の満足度とは関係なく達成感が全身を覆うものです。出来がどうとか、あそこをこうすれば良かった…という思いは、時間が経ってから生まれてくる感情であって、どんなに不出来な作品であっても、最後の一文を書き込めた瞬間に訪れる達成感は、脳内温度を沸点まで引き上げてくれます。
ところが、今回はこれまでとは違う感覚が脱稿後に生まれました。脱力感……大げさでは無く、数分間というもの、本当に何も考えられない状態となって居りました。
ファンメールを読んで頂いていた方々には、事前にお知らせして居りましたが、この作品はあるこだわりをもって完結予定日を決めていました。このこだわりは、書き始めた当初には無かったもので、はっきりと意識し始めたのは、書き進めている内容が自然と現実の社会情勢にリンクしだしてからでした。ならば、リアルタイムで現状の社会情勢とシンクロ(同調)させてしまえ、となり、三島由紀夫が四十年前に引き起こした事件の日をこの作品の完結日にしたくなったのです。