1970年の亡霊
 加藤が一番気になっていた箇所は、被害者の身体特徴についての記述で、古い幾つかの傷跡の事であった。

 解剖所見に書かれた、

『銃創及び刀創による傷痕に形状が酷似している……』

 の文面に何度も目が止まる。

 銃創、刀創……。

 一般の人間で、そんな傷を身体に幾つも持つ者はそういない。

 もし、そういう人間がいるとして、ぱっと思い付くのは、日常的に暴力の中に身を置く者、例えば暴力団関係者等だ。

 だが、加藤はその線を外した。

 特にこれという理由は無かったが、強いて言えば、殺され方がらしくないという点だ。

 被害者が暴力団関係者ならば、加害者側もそれに近い人間達と考えるのが妥当だろう。

 彼等はこういう始末のやり方はしない。

 尤も、最近の暴力団は自らの手で邪魔者を始末せず、中国人達等に幾ばくかの金を渡して依頼するようになった。

 中国人達の始末の仕方は乱暴で大雑把だから、こんなふうに首を切り落として海にすてても不思議ではない。

 だが、それは無いと確信めいたものを加藤は抱いていた。

 身体に幾つかの銃創と刀創を受けるような人生を歩いて来た男って……

 思考が止まる度に箸も止まる。鍋の中のラーメンがふやけて伸びて行く。機械的な動作で不味くなったラーメンを口に運ぶ。

 あっ!?そうだよ、中国人ならやりかねねえよ。てえ事は、何も殺す側ばかりが中国人とは限らねえ……

 ガイシャは中国人か?

 チャイニーズ・マフィア……

 身体の傷痕は、中国人マフィア同士の抗争で受けたものかも知れない。解剖所見を更に細部まで読み返した。

 体脂肪率が低く、アスリート並みに鍛えられた肉体。

 若い頃、兵役に行っていた?

 加藤の頭の中で、被害者像が出来上がって行った。


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