雨音色
違う世界
「藤木君、今日の学会はどうだった」
立派な口ひげを指でなぞりながら、長身の初老の男性が、
隣で歩くこれもまた長身で、少し大きめの洋服に身を包んだ若い男性に話し掛けた。
「非常に有意義でした。
独逸(ドイツ)の学者の方々と直接議論できるなんて、
独逸留学から帰ってきて以来初めてですし」
若い男がそう言うと、彼は嬉しそうに何度もそのひげを触った。
「最近刑法学者も増えてきたことだし、今後の頑張り次第だね」
「はい。頑張ります」
彼らがいたのは、帝国大学の講堂だった。
午前中からの白熱した刑法学会も、ようやく幕を閉じたところであった。
彼らは喋りながら外に出ると、そこには1台の車が待っていた。
「藤木君、今日は乗って帰るかい?」
「お言葉に甘えて」
彼が軽く会釈をした。
「最近は車の数も増えてきたから、
あまり我々が乗っていてもそう珍しがられることもなくなったな」
初老の男性はそう笑うと、運転席の窓を叩いた。
うたた寝をしていた運転手は、慌てて外に出てきて後部座席のドアを開けた。
「いえいえ、僕の住む方では、まだまだです。
道端にランプがあるのは先生がいらっしゃる近辺ぐらいですよ」
「ははは。大日本帝国とか、デモクラシーといっても、東京だけなのかもしれんな」
彼らは車内に乗り込んだ。
黒光りする車体が、白い煙を立ててその場を去っていった。