社会の枠
最終章
翌日に退院した私は若菜の店に向かった。店に入った私に一襪くれた彼は『大変だったみたいですね』と言って小瓶のビールと暖かいモツ煮を出してくれた。病院での味気ない食事と久しぶりのアルコールがありがたかった。『以前、うちの会社にいた西田が絡んでいたよ。例の件は記事にはしないが、俺をはめた奴だけは許さない』と伝えた。若菜はジッと私を見て『仁科さん、やはり世の中にはその世界だけのバランスというものがあるんですよ。例えそれが悪であってもね。それを外から掻きまわそうとすると今まで対立していても連衡して排除しようとなるんです。だから今回の件は面子やプライドを考えずに手を引いた方が無難です』私はモツ煮をつまんでいた箸をとめ彼を見返し、暫く黙っていた。カラオケの画面のデモ映像が妙に白々しく流れている。そして口の端に笑みをうかべて『私は初めて女性という生き物に興味を覚えたんだ。今後はどうなるかわからんが、それだけでもすごいと思わんか?』若菜は黙って聞いている。続けて『でもな…それと今回の件は別なんだよ。けじめをつけさせて、本当にすっきりしてから彼女との今後を考えたいんだ。ゆっくりとな…』と言って席を立った。若菜は仕方ないという顔をしてカウンターから出て私を見送りに入口まで来た。私は『また連絡する…』と後ろを向こうとした時、脇腹に重い痛みを感じた。一瞬わからず若菜の顔を見ると、今度は胃の上辺りに包丁が突き刺さった。もう一度若菜を見ると一歩退がって無表情に私を見ていた。そのまま意識が昇天する様にわからなくなり、その場に膝から崩れてドアに寄りかかった。若菜は『あんたは人の言葉を聞かなすぎたんだよ。俺はあんたを好きだったんだけどな…』と呟いてカウンターに戻った。