ますかれーど
「千秋、いつかは話さなければならないんだ」


僕は、千秋の頭をそっと撫でながら、出来るだけ自分から手を離すように言葉を紡ぐ。


「もう、お前なら解るね?」


そう言うと、強く握られていた寝間着が解放された。


「兄さん……」


僕とは違う、大きな瞳。
それは、母さんにとてもよく似ている。


「兄さんは、どこへも行かない?」

「あぁ」


その紺色は、今にも溢れてしまいそうで。


「約束だよ‥っ」


声を微かに震わせながら、必死に涙を零さないように堪えているのが分かる。



昔から2人で居ることが多くて。

昔から2人で助け合ってきた。



母は僕たちを愛してくれるけど、でもやっぱり、僕たちと触れる時間は限りなく少なくて。

だから

大変な時や、辛い時には、いつも居なかった。


父なんか、問題外だ。

僕を人形のようにしか見ていなくて。

千秋の存在を無かったことにしてきた。

父から受けた、僕たちの精神的苦痛は大きい。


自分は仕事のみをこなす機械のようで。

怒鳴るなんて感情があったことに驚きだ。


「行こうか」

「うん‥」


僕たちは、意を決して立ち上がる。


「愁一さま‥」

「大丈夫だよ、凉」


心配そうに僕たちを見ている凉。

カズなんて、もう泣きっぱなしだ。


「カズ‥」

「ずびま‥ぜんっ」


ガタイに似合わず涙もろいカズに、ふふっと笑顔を見せれば、その嗚咽は更に大きくなる。


「カズ、これ‥」


千秋が差し出したのは、ティッシュの箱。


「ありがどうございまずっ千秋さま」

「泣かないで‥?」

「はい゛っ!申し訳ございません」


2人の光る瞳が見守る中、僕たちはそれぞれの部屋へと歩を進めた。


「じゃぁ千秋」

「兄さん‥」

「大丈夫だよ」


なにが“大丈夫”なんだか。

僕にもよく解らない。

ただの気休めだ。


僕は千秋が母の部屋に入ったのを見届けると、対面にある両開きのドアをノックした。


「入りなさい」

「はい。失礼します」


朝の光がカーテンを薄く照らしていても、とても暗いこの部屋。

重々しい空気。

まるで社長室みたいに広いこの部屋の奥。

あ、社長なんだけど。


大きな机に黒い影。

両肘をついて額を乗せている、その影。


僕は、それに一歩、また一歩と近づいていく。
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