ますかれーど
父が僕に話したのは、要点をまとめた簡単な報告。


ひとつ、母は明日から別邸に住むという事。

ふたつ、社長という立場と体裁を考えて、離婚はしないという事。

そして……


「みっつ。これが最後だ」


父は顔を上げ、僕を見ていた‥と思う。

というのは、暗くて表情や視線が分からないからだ。

父は大きく息を吐くと、またそれと同じくらい、この重々しい空気を吸い込んだ。


「愁一、お前は向こうに行きなさい」

「‥え?」


当然、僕は父の方に付くんだと思ってた。

だって、今までずっと、自分の跡継ぎにしようとしてきたじゃないか。


「愁一‥お前はっ、向こうに、行きなさいっ」

「父‥さん?」


ずっとずっと僕たちを縛り続けてきた父。

厳格で、自分勝手で、仕事人間で、家庭なんか振り返らなかった父。

僕たちは、この人から大きな精神的苦痛を強いられてきた。


そして、これからも続いて行くんだと、僕は、この人の人形で在り続けるんだと覚悟をして、このドアを叩いた。

千秋と、離れる覚悟をしていた。


それがどうだろう。


繰り返されたその言葉は、なんて弱々しく、なんて威厳のないことだろう。


もしかしてあなたは、後悔をしているのですか?

今更ですか?




‥僕のナカが、揺れた。




吸い込む空気は断続的で、吐き出す息は長い。


泣いて‥いるのですか?




「以上だ。下がりなさい」

「‥はい」


なんだか解らないココロのもやもやを抱えながら、僕は父に背を向けた。

父は、僕がドアを開けて出て行くその時まで、ずっと見ていたと思う。


「兄さんっ」


広い広いこの廊下を、ゆっくりゆっくり歩いていたその時だった。


「俺たち、明日から母さんと一緒に別邸だって。荷物、準備しとけって」


千秋は母になんて言われたんだろう。

駆け寄ってきた紺色の兎は、何故だかとても、たくましく見えた。


「あぁ。分かった」

「兄さん?」


頭がうまく働かなくて、言葉が思うように出てこない。


「少し‥独りになりたいんだ。凉とカズにも、そう言っといてくれ」

「兄さん‥」

「夕飯には出るよ」


僕は千秋を振り切って、自室へと入った。

温かいものが頬を伝う理由は、なんなんだろう。


解らなかった。




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