坂井家の事情



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

《山崎翼の事情2》

◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「なあなあ、山崎。ずっと気になってたんだけどさ」


坂井悠太が、山崎翼の元へと近付いてくる。

「なんで山崎は、『よっきゅん』なんて呼ばれてるんだ?」

「別に呼ばれてなんかないよ」

翼は机に視線を落としたまま、即答で答える。彼は本日の日直当番であるため、学級日誌を書いていたのだ。



そこへ。



「よっきゅん、よっきゅん。消しゴム貸してくれよ。俺、家に忘れてきちゃってさぁ」

へらへらと笑いながら亀岡雅昭が現れた。翼はここでようやく手を休めると、迷惑そうな表情を上げる。


「コイツだけが勝手に呼んでいるだけだ。俺は知らん」

「えー? ナニナニ、なんの話ぃ???」

消しゴムを受け取りながら、雅昭が瞳をキラキラと輝かせてくる。


「なあなあ、亀やん。なんで山崎のあだ名が『よっきゅん』なんだよ。名前はツバサだろ?」

黒板の片隅に書かれている日直者名を指さしながら、今度は雅昭に尋ねた。

「ナニナニ悠太クン。君はそれが知りたいワケぇ?」


「だって『よっきゅん』なんて、何処も名前に引っ掛かってないじゃん。『ザッキー』や『ザキヤマ』とかなら分かるけどさ」

「……なんだよ、ザッキーって」

翼が顔をしかめる。

「それにザキヤマのほうは、お笑い芸人の名前じゃないか。しかも俺の名字は山『ザキ』じゃない。山『サキ』だ。よく間違えられるけどな」

そう言うと翼はすぐに、日誌書き込み作業を再開した。それを尻目に雅昭は。


「ふっふっふっ、悠太クン。君にひとつ、いいことを教えてやろう」


含み笑いとともに、何故か得意げに胸を張っている。そして勿体つけるかのように「ちちち…」と舌先を鳴らすと、立てた人差し指を左右へ振ってみせた。


「山『崎』という名字だが……東日本の場合では『ザキ』、西日本だと『サキ』と読ませることのほうが、一般的には多いらしいぜ。コレ、豆チな」

「……どーでもいい豆知識だな、それ。それよりどうして『よっきゅん』なんだよ。教えてくれよ」

雅昭の言葉をあっさり受け流すと、悠太は眉根を寄せながら再び催促をする。


「それは実に、簡単なことだよ。悠太クン」


悠太の肩へ軽く手を置いた雅昭が、またもや不適な笑みを浮かべつつ指を左右へ動かした。


「山崎翼→翼→つばさ(訓読み)→ヨク(音読み)→ヨックン→よっきゅん―――――と、こうなるわけだよ。
それに『よっきゅん』とは、大昔に大活躍していたアイドル、田中陽子ちゃんの愛称でもある。コレ、豆チな」

「だからそんな豆知識いらねーってば。……ていうか、アイドルの田中陽子って誰だよ。サッカー選手だったら知ってるけど」



説明しよう!



田中陽子とは、二十数年ほど前に芸能活動をしていた、女性アイドルの名前である。

アニメ『アイドル天使ようこそようこ』のモデルでもあり、実在していた伝説のアイドルだったのだ!


更に雅昭の父親は当時、ファンクラブに入会するほどの熱狂的なファンでもあった。

現在でもカラオケ店では当時のヒット曲を歌っており、酔った父親からはその都度、田中陽子に関するウンチクも聞かされ続けていた。

そのため雅昭は、自分の産まれる遥か以前に活動していたアイドルのことを知っていたのである!


因みに女子サッカー選手とは、一切関係ありません。


コレ、豆…(以下略)。





2013/04/10 更新
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