初恋の向こう側
それは七月に入ってすぐのことだった。
その日、久しぶりに入った千尋からの着信。
「もしもし佐伯君、元気?」
「ああ、まあまあ元気かな。
ピアノの方はどお?」
「順調だよ」
三歳の時からピアノを続けているという千尋。
今月開かれるらしいコンクールは、かなりレベルが高いらしく、それに向けて毎日五時間以上の練習を続けていた。
そんなわけで千尋とはメールのやり取りばかりの近頃だけど。
その会えないという事情を却って都合よく感じている俺だった。
「今日はね、佐伯君にお願いがあって電話したの」
最近では珍しい、明るく弾むような彼女の声。
俺の気持ちが余所へ向いていると感づいてからの千尋は、いつも不安そうな顔をしていた。
携帯から流れてくる声だって、寂しさをひた隠しているのが伝わってきた。
「俺に、お願い?」
訊き返すと彼女は、うんと短く返事をして
「わたしから佐伯君への最後のお願い事だから、聞いてほしいの」
と言った。