初恋の向こう側
「今日は来てくれてありがとう」
一人掛けのソファに沈み込むように座ってる千尋は、いつもの小さく頼りなげな彼女に戻っていた。
「千尋のピアノ凄かったよ。マジでビックリした」
「ありがと。でも緊張しすぎて気絶寸前だったんだよ、わたし。
でも佐伯くんが見ていてくれたから、最後まで頑張れたかな」
そう言って彼女は恥ずかしそうに笑った。
久しぶりに顔を合わせた俺達は、それから少し話をした。
話の最中にまた何度か携帯のバイブが騒いだけど、俺は出なかった。
というより出られなかった。
ここを出たらすぐに掛け直そうと思っていたんだ。
「佐伯君、本当にありがとね。
“コンクールに来てほしい”っていう、わたしの最後のお願いを聞いてくれて」
”最後のお願い”
その言葉が気になったが千尋は笑顔だった。
「それでね佐伯君?
最後って言っておきながらズルっ子なんだけど……もう一つだけ、わたしの言うことを聞いてほしいの」
穏やかな表情の中で目だけが真剣な色をしている。
何かを内に秘めた千尋が、そのまま黙って俺を見つめた。