妖恋華
先刻のことである。
華紅夜の部屋で、まさか織姫の名が出ると思っていなかった乙姫はただ黙って目を見開くことしかできなかった。
約束―――母である織姫との知らない約束。
しかし、それが自分と結び付くものとはどう考えても思えない。
「あなたがまさか神隠しで此処にやって来るなんて想像もしてなかったわ。」
意外そうに言う彼女から、自分が今此処に居ることは彼女にとっても想定外のことだったことが窺える。
しかし、彼女はこの状況を決して悪いと考えているようではないらしい。
それは、彼女が今回の神隠しを好機と考え、乙姫を“花嫁”としようとしていることからも明確だった。
「あなたがこの村に来たことは必然ね。」
華紅夜は満足そうに微笑んだ。
それに乙姫はわずかに眉根を寄せた。
「あの…お母さんとの約束を教えてもらえませんか…?」
乙姫は話題を逸らすために口を開いた。
昨日からも言えることだが、華紅夜の言葉は自分とこの村を無理矢理にでも、結び付けようとしているように感じてしかたがなかった。
乙姫にとってそれは気持ちのいいものではなかった。
華紅夜は乙姫の目を見つめ、あの日の織姫と重ねた。
華紅夜の脳裏には、十年前の光景が拡がった。
その瞳には懐かしさと共に、言い表せないような複雑な光が宿っていた。
それを乙姫は静かに見つめ、言葉が発せられるのをただ待った。