キミが刀を紅くした
商売から逃げられたら。俺は不意に掛け軸を思い出した。あれを書いたのは確かに西崎露子だが、売っていたのは彼女じゃない。
彼女が消えて困るのは――。
「おい、頓所に帰って島原近くで違法商売をしていた露店商を引き留めておけ。俺が帰るまでだ」
隊士にはそう言った。俺の命を受けて彼は足早に飛脚屋から去って行った。俺は大和屋を見る。彼は――珍しく――満足そうに笑っていた。そして楽しそうに。
煙管のない口がにぃと上がる。
「おい、大和屋」
「これで村崎の件の借りはチャラにしてもらうぜ。俺は借りっぱなしが好きじゃねえんだよ」
「最初からそのつもりで?」
「土方がうちに来なきゃ事件の内容は知れなかったんだぜ。こんな事計画立ててやってられるかよ」
大和屋は手をひらひらさせて飛脚屋を後にした。俺はしばらくしてから彼に倣う。頓所に帰ったら今回の犯人がいるに違いない。まるで接点の無い様に思われた露子と露店商は繋がったのだから。
こうして脅迫状事件は幕を閉じた。大和屋の爽快ではない推理によってとは言いたくないが。
俺は今、部屋に戻って報告書を片付けている。酷く散らかっていた部屋は半分くらい片付いた。
「土方さん、お客さんですよ」
「客だ?」
「こんにちは、土方さん」
「あぁ瀬川か。どうしたんだ」
総司に案内されて来た瀬川はそうっと刀を一本差し出した。あぁと思い出すが早いか総司が笑い出すのが早いか。瀬川は笑んだ。
そうして告げる。
「忘れ物です」
「あぁ。悪い」
「刀を忘れるた、土方さんもおっちょこちょいなんですねぇ。それを武士の魂なんて言う御仁もいる時世になんたる忘れ物ですか」
「戯れ言を。魂が人を斬る道具だなんて奴はめったにいねぇだろ」
俺は始末書の最後の一枚を書き上げて床に倒れ込んだ。近藤さんの言う通り、俺は働きすぎだ。
「土方さん」
「一時間、休む。その間頼むぞ」
俺の言葉に答えなかった総司の代わりに瀬川が小さく返事した。
(01:幕府の犬 終)