キミが刀を紅くした

 主の母君は彼が幼い頃に亡くなられてしまったらしい。俺はまだ生まれても居ない年だから、少なくとも十七年は昔の事だが。

 その母君の形見がなぜ賭け事の品になっているのか。それは徳川の姫君に原因があるらしかった。



「中村には俺から伝える。服部は今夜九時に賭博場へ来てくれ。吉原も来るからすぐ分かるだろ」


「――吉原が来るならいいじゃないか。俺が行かなくっても」


「だだっ子かお前は。吉原は様子見に来るだけだよ。相手は――なんたって長屋の粂助だからな」



 大和屋はそう言って楽しそうに笑った。長屋の粂助と言えばきっと誰もが耳にした事のある名だ。賭博場の常連でも島原の馴染み客でもない。ちなみに新撰組の厄介を受けた事は一度もない。

 それがなぜ有名なのか、と言うと。粂助は義理や人情と言った任侠の世界の人間だからだ。色黒の肌に典型的な頬の傷は何と言葉も喋れないうちに自分でやったものだと誰かが言っていた。



「どうしてその粂助が主の母君の形見を持っているんだ。窃盗なら堂々と取り返せば良いだろう」


「それが江戸で誰かさんから譲り受けたらしいんで、粂助もそれが誰の何だとは知らねぇんだよ。今後盗まれない為にも、あれが徳川の物だとは公表したくないってお前の主は言うんで、こうなった」



 勝てば何も聞かずに返してくれると言うわけだな。だがあぁ、すこしばかり心配になってきた。

 粂助の居る所に死体あり、なんて言われた奴が京に戻ってきていたなんて。俺は調査不足だった。



「とにかく来てくれよ」



 俺は仕方なく頷いて鍛冶屋を出て行った。だが入れ替わりに吉原とぶつかりそうになった。吉原はしなやかに俺を避けると、小さく俺に手を振ってから戸を閉めた。

 なんだかいつもの吉原とは別人の様に感じたが、確かめるにはもう遅い。俺は既に閉まった戸を眺めて、ため息と共に歩き出した。



「あぁ、半助殿!」



 歩き出して数秒すると名前を呼ばれた。直後、俺はなぜかびしょ濡れになってしまった。


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