キミが刀を紅くした
「それともアンタの命は捨てるほど安いもんなのかい?」
馬鹿にした様な言葉だけれど、その声は真摯なものだった。この人は人の命のなんたるかを知っているのだろうと俺の直感が言っている。だから無下にする事は出来ない。これは彼女なりの心配なのだろうと思うから。
俺は少しだけ間を空けて言葉を発した。
「俺の命は安くない。だけどそれをどう使おうと俺の勝手でしょ?」
「まあご最もな意見だ」
「いつか餓死して死んじまう身なんだから、どうせなら誰かの為に一花咲かせて死にたい。一度くらい、俺の人生にも華があったっていいだろうし」
「子供らしからぬ言葉だね」
「俺はまだ十も生きてないからね」
俺は立ち上がり女に会釈をした。今から死地に向かう侍の様な心持だ。ただの餓鬼なのに錯覚はとんでもない方向へ転がっている。
女は俺に続いて立ち上がり何も言わずに戸口まで俺を送ると、口を開いた。
「そういえば名前を聞いていなかった。あたしは」
「名前なんて興味ない」
「でもあたしにはあるんだ。教えてくれないのかい?」
「人に呼ばれる名前なんかないよ。駒使いじゃなく俺個人を呼ぶ人なんて今まで一人だっていなかったから、名前が必要とは思わなかった」
「そうかい」
「水、ご馳走さま」
俺は女の屋敷を飛び出して吉原に向かった。日は完全に昇っている。しかしまだ朝方だからか、人の出入りは少ない。でもわかる。街に誰も居なくなったって、吉原には番人が住んでいる。奴がらいなくなる事は天地がひっくり返ってもない。
大抵の番人は夜しか働かない。昼間は女たちも寝ていて、動くのは童くらいだから見張る必要もないのだ。子供たちはどれだけ嫌気がさしても吉原に居続けるしかない。そうしないと仕事も失って食も失う事になるのだから。
番人が誰か知っているのは一部の女と上客だけだ。俺は人の姿も知らなければどんな事をして吉原を守るのか、どんな事をして仇を成す奴らを排除するのかは知らないけれど。
とにかく俺は姉さんのいた屋敷へと足を向けた。毎晩毎晩、それはもうそこらの男客よりも通っている道だから、忘れようにも忘れられない。朝の見張りが巡回する時間も道も知っているから、そこを潜る術は知っていた。
知っていたけど、実行した事はないから少しだけ不安はある。緊張すると言うのが正しいのだろうか。生まれてこの方緊張なんて言葉に縁がなかったものだから、少しだけ考えなければいけない。どうして実行しなかったかと言えば答えは簡単である。明るいうちに吉原に入る理由がなかったからだ。
明るい吉原は危険。それは知っていた。なぜか理由も知れず夜より危険だと思っていた。知らないから余計に怖がっていたのかもしれない。そこに危険を冒してまで入る理由が俺にはなかった。今は、あるけれど。