キミが刀を紅くした
一瞬。喉を捉えた。
「俺を殺すか。良い度胸だ」
酒を飲んでいる時より、女に囲まれている時よりも楽しそうな笑みを浮かべた男は俺の手から簪をするりと抜いて俺の喉に宛がった。ただ簪を取られただけなのに、大斧でも首に宛がわれている様な気分になる。気力というか気迫というか。俺が夜帝に勝っているものは何一つないんだと、その時一瞬にして悟ってしまった。
俺はもう死ぬしかないのか――ならもう少し足掻いてもいいだろうか。
そんな思いが頭をよぎった瞬間俺は簪を取り返して夜帝の後ろへ回った。刺して殺してやろうと決めていたのだけれど、今は違う。夜帝より勝りたいと願っていた。一つでもいい。そうでなければ生きることが出来ないから。
「すばしっこいのは子供の特権だな」
夜帝は言いながら俺を目線で追いかけた。俺は夜帝の裏から首を狙う。だがその全身全霊の一撃は軽くもあしらわれてしまった。夜帝の首にはひっかき傷がついただけ。赤く一本残っただけだ。
「餓鬼、名は何と言う」
また聞かれた。
「ワシに勝とうとするその心意気、気に入った。ワシが育ててやろう。強く育て。牽いては吉原の番人に、ワシの後釜になれば良い」
声を出して答えるのは億劫だった。俺は後ろから首根っこを夜帝に掴まれたままじっと夜帝を見ているだけだった。拒否したら殺されるか。拒否しなくても修羅の道である事は間違いないだろう。だが俺の頭にはどうしても和歌姉さんの顔がちらつく。
和歌姉さんが拒否した男。それならば俺も、と思うけれど。和歌姉さんは俺に飯をくれていた女の一人に過ぎない。それに殺された女なら他にも沢山いる。どれも俺に飯をくれていた人たちばかり。あぁ、頭が痛い。
「ワシと共に来るか、それとも死ぬか」
「死ぬ!」
考えるのはもう嫌だ。あれだけ考えるのが好きだったのに考えるのはもう御免だった。俺は本能のままにそう答え、着物を脱ぎすてて夜帝から遠ざかった。手に持つ簪は刀の様に腰に差した。いつか落ちてしまうかもしれない。だけどそれを気にしている余裕なんてない。
俺は飾ってあった壷を持ち上げて夜帝に投げつけた。女たちが悲鳴を上げて夜帝から離れる。夜帝は軽く腕でそれを払った。破片が部屋に飛び散り、女の一人が腕に怪我をした。苦痛で顔をゆがめている。だが夜帝は気にもせず飾り刀を抜いて俺にそれを投げつけた。
「少し遊んでやろう」
くぐもった声がしたと思った瞬間、負けを感じた。刀を持っているのは俺なのに、壁に追いやられているのは夜帝なのに。どうしてか俺には未来が見えなかった。勝っている姿を想像出来ない。
俺はその時になって初めて、本当に死を悟った。