キミが刀を紅くした
その夜。俺は江戸から京への街道で言われた通り黒を待っていた。だが夜が更けそろそろ空が白んでくるんじゃないかと思った頃になっても奴は現れなかった。
「無駄足か。くそっ、黒のやつ」
次に会ったら滅茶苦茶に文句を言ってやろうかと思った時。京に向けて一つの籠が通って行った。俺ははっとして腰を上げるとその籠の後をついて走る。
道中、籠を挟んで左右から二つの足音が聞こえてきた。大きさとがさつさを考えると忍じゃない事は確かだ。黒の罠だろうか。俺は懐の小刀を感覚で確認して、外していた口宛を引っ張り、頭巾をしっかり被った。
京に近付いた。あと一歩だと言う時に籠の奴等が休息を取り始めた。その隙を狙って左右の二つが素早く動く。長い刀を振りかざして、男が一人籠のやつを殺した。そしてもう一人現れた男が残りの籠を殺してしまった。
「よし。これで――」
俺は男が喋りきる前に忍刀でそいつの首を切った。もう一人の男が俺を見て逃げようともがき始める。だが俺は既に男の両足を斬っていたから逃げられるはずもない。
「ひい! お前どこの者だ、何でまだこいつを守ろうとする奴が居るんだ。まさか、中村屋のっ」
言葉を待ったけれど男は悲鳴をあげるばかりで煩いだけ。俺はため息と共に最後の一人の首を落とした。静かになった空間。夜でなければ忍服の返り血が目立ったかも知れない。
俺は少しだけ距離をとって籠を眺めた。
将軍が降りてくる気配はない。もしや将軍は既に籠のやつらに殺されていたのだろうか。運ばれていたのは死体で俺はそれを――。
「いや」
そんな事はない。死体をわざわざ京に運ぶ意味がわからないじゃないか。俺は自分にそう言い聞かせて頭巾をとった。頭をわしわしと掻いてからもう一度籠を眺めた。
その時。籠の暖簾が揺れた。
そして声にならない声を上げながら一人の女が籠から飛び出してきた。綺麗な黒髪だ。俺は忍刀を鞘に納めるて彼女の腕を取った。
女は悲鳴も上げずに俺を眺めた。
「あんた名前は?」
「えっ」
「名前。ないの?」
「な、中村です。中村椿」
「ふうん。知らない」
中村。さっきの男がそんな事を言っていた気がするが――やはり俺には聞き覚えがない。俺は女の手を離して考えながら首元の手拭いを口元まで上げた。女は逃げない。
つまり、どういう事だ。
籠に居たのは中村椿。中村屋の、と言って死んだ男。多分狙われたのは籠の男ではなく中村椿、この女だ。俺が殺した二人の男は。
「俺はこの二人を殺した。この二人は籠屋を殺した。たから俺が殺したのは間違いじゃない」
言い訳するみたいにそんな事を言ってから俺は中村椿を見た。風に黒髪が揺れる。俺と視線を交わしてからしばらく、中村椿は口を開いた。細い美しい声が喉を通っていく。