キミが刀を紅くした
「あの、貴方の、名前は?」
「服部半助」
「そのお姿に、服部のお名前……どこかのお忍さまですか? どうしてここに?」
「修行中にお前を見つけた。殺気があって。放っておこうとしたが出来なかった。悪い」
妙に申し訳ない気持ちになって口八丁で謝ってしまったが、 別に謝る様な事はしていない。俺は辺りを見渡して考えた。確かに修行と言えば修行なのかも知れないな。
江戸の街を勝手に空けたのだからそれなりの処罰が下るかも知れないが。だが。
「服部さん」
中村椿が俺を呼んだ。
「その名前は嫌いだ」
「では、半助さん」
「なんだ」
「道中お急ぎでなければお願いがあるのですが。私を京まで連れて行っていただけませんか?」
何だか物珍しい女だと思った時、近くで足音か聞こえた。誰かが刀を抜いて近づいてくる音だ。中村椿はまだ誰かに狙われていると言うのだろうか。それとも狙われているのは江戸を放って呆けている俺だろうか。
俺は相手に気付いていると伝えんばかりにわざとらしい咳払いをした。中村椿はそれでも俺を見続ける。
「俺は修行中だ」
「そうですか」
「だが椿は狙われているらしいから、これをやる。返さなくていい。俺はもう使わない。あと京はあっち。東に歩けばあるから」
椿、と。何故か俺は名を呼んだ。
途端に情が移ってしまって、俺は自分の懐に入れていた小刀を椿に渡した。椿はそれを両手で握りしめて何度か頷いた。
俺はそんな椿を放って抜刀の音がした方へ向かう。そして一人の男にであった。俺よりも椿よりも遥かに上。幼いとは聞いていたがそれは背丈だけ。雰囲気もその目付きも、江戸城にいた誰よりも迫力があり大人びている。
「――あれは中村椿だね」
軽い口調で男は言った。
「俺の隠れ家を守ってくれてありがとう。服部半助。さっきの業は見事だった。さすがは服部の家を継ぐ者と、言ったところかな」
刀を鞘に納めた男を見て俺はしてやられたと気が付いた。彼は俺を呼ぶ為に抜刀したに違いない。何て策士だろう。否。これも。
これも徳川の血か?
「慶喜殿」
「お前がよければ主と呼ぶがいい。お前は黒田影麿と共謀して俺を陥れようとしていたんだろ? だが、その力は勝ってもいい」
「黒をご存じなんですか」
「あいつは江戸に置いて来たが。お前は俺を陥れて出世するより中村椿を助けた。偶然とは言えそれも実力だ。半助、俺と来るか?」
その問いは――否、それはむしろ命令だった。俺の頭には断ったあとの世界が走馬灯の様に掛けていく。この言葉を拒否した先に俺の生きる道はないと悟ってしまった。
何よりこの人は俺を服部と知りながら半助と呼ぶ。服部ではなくちゃんと俺を見る。それが俺には何より嬉しく思えた。
「――御供致します、主」
俺はゆっくりと息を吐いて身体のスイッチを切ると、片膝をついて忠誠を表した。主はそれに満足そうに微笑むと京に向けて歩き出す。俺はその後を黙って続いた。