キミが刀を紅くした
京に着くなり主は俺を連れてある古ぼけた旅館に向かった。戸を開けても中に入っても誰も迎えてくれない旅館だ。その二階、一番奥の部屋まで行くと主は自ら灯りを点した。
「半助」
「はい」
「俺は今の世界に満足していない」
主は突然そんな事を言い出した。
「この世は俺が変えてやる。だがそれには駒が必要だ。近々それを揃える手筈を整えなければならないのだが――なあ、半助」
「はい」
「お前は俺の駒になる気があるか?」
「はい」
「即答か」
「俺はもう忠誠を誓いました」
「話が早くてよろしい。では半助」
主は悪戯に笑う。
「お前は俺の為に死になさい。さあ」
ただ罵倒された訳ではない。下から足音か近付いてきている。つまり相討ち覚悟でも倒してしまえと主は言っているわけだ。
俺は手裏剣を構えた。
「誰か来たよ、半助。迎えなさい」
「――御意」
俺は片手で襖を開いて手裏剣を投げた。足音の重さからして女、それも子供だと分かっていた。それでも俺は三枚の手裏剣を急所めがけて投げてやった。せめて一瞬で死ぬように、とは微塵も思っていない。俺が考えていたのはただひとつ。確実に殺す。
だが誰も死ななかった。
「――見事だ」
急所を確実に狙った俺に言ったのか、それを見事に作法で避けた椿に言ったのか。拍手をしながら満足そうに笑っている主を見て俺はきっと修羅の道に入ったのだと確信した。
椿が俺を見上げた。俺はただ彼女を殺そうとしてしまった妙な罪悪感にかられて椿を見下げる事しか出来なかった。だが次第に椿は思い出した様に頭を床に押し付ける。
「私は本日よりこの旅館でお世話になります、江戸から参りました中村椿と申す者で御座います。不束ではありますが、生を通して懸命に働きます故、どうぞ宜しくお願い申し上げます。お侍さま、お忍さま」
主はあからさまな笑みを浮かべて椿の傍へ行くと、片膝をついて手を差し伸べた。
「残念ながら俺はこの旅館の人間ではないんだが、宜しくされたのなら応えない訳にはいかないな。さあ顔をあげなさい、椿」
「はい」
どうしようかと俺は考えていた。
残念ながら今の椿は俺と同じだ。主の罠に嵌まっている。手を伸べられたらもうそれを取るしかないのだ。そして彼女はきっと俺とは違う使われ方をするのだろう。
彼が望む世界を作るための駒として。
椿と主は話をしていた。だが違和感を覚えたのは椿が至極嬉しそうだと言う事だ。気付いていないのだろうか、なんて事を考えながら、もしかすると俺の考えがそもそも間違っているのだろうかとも考えてしまった。
忍はただ主の隣に居ればいいのだろうか。ふとそう考えたとき、俺の目的が明確になった。主が世界を変える時俺は横にいる。そして駒になった人を守ろう。椿のような――。