キミが刀を紅くした
その声で俺は殺されると思った。それぐらい冷たくて非道な声をしていたのだ。俺は振り替える事すら出来ずに立ち尽くしていた。
「言ったな。お前は俺に忠誠を誓ったと」
主が抜いた刀の切っ先が、地面を擦りながら俺に近付いてくる。俺は咄嗟に自分の死に方を考えた。このまま逃げるか、斬られるか、徳川の若将軍を斬って大罪を背負うか。
――どれも違う。
「だから俺はお前を信じてやる、半助。お前は利口だ。中村椿に嘘は付いていない上に、上手く彼女を救いだそうとしていたな。その力を俺は使いたいのだ。その愚鈍さをな」
「……主」
「落ち込むな。誉めている」
主が土を払って刀を鞘に戻した。俺は音でそれを確認してから振り返り、片膝を地面に預ける。主はそれを見下して一蹴りすると、嬉しそうに口角を上げて俺を見ていた。
地面に横たわった俺はそのまま額を地面に擦り付けた。言葉はいらない。俺からは。
「半助、俺はね」
しゃがみこんだ主が俺の頬を掴んだ。無理やり見上げるような形をとられる。少しだけ首が痛いが、そんな事を言ったら主はどういう反応をしてくれだろうか。
「俺は世界の為に世界を変えたいと言っている訳じゃないんだよ。偽善などくだらん事に人生を使う気はないからな。俺が世界を変えたい理由は、俺が世界を牛耳る為だ」
その背丈と顔に似合わない声を出して、主は俺に囁いた。人が通りすがっていくのが見えるけれど、何のちょっかいも出してこない。関わりたくないのだろう。奴隷と主人に。
「お前の人生はお前で勝手に生きると良い。俺が必要と思わない時は何処に行こうと何をしようと咎めたりしない。だからお前が中村椿を――俺の駒を逃がそうとした事は、許すもなにもない。それはお前の人生だからな」
「……では、なぜ」
なぜ俺は今平伏している。
「なぜだと? ははっ! 笑わせる!」
「……」
「必要とした時に居なかったから。理由はそれだけだ。お前は利口な癖に分かっていないのだな。お前と共に世界を変えようと言う崇高な理想が、お前のせいで一日遅れてしまったのだぞ。どうする。理想実現の一日前に俺が死んだら、世界は変わらないだろう」
なるほど。俺はようやく事を理解して睨み付ける様にして主を見ていた目をそっと伏せた。主はそれを見て俺から手を離し立ち上がる。差し出された手は取らなかった。その代わり、機敏に立って主の後ろに着いた。
「よろしい。半助」
「はっ」
「お前の為に俺は良い主を演じよう。だからお前も幾ら俺に反発したいからって露骨にそれを出すんじゃないよ。俺にも世間体がある」
「――御意。二度とその様なことは」
「別に誓えとは言ってない。反発したけりゃしろ。それを表に出すなと言っただけだ」
俺は静かに頭を下げた。
主はそれを見てから黙って徳川の屋敷まで歩き始める。俺はその後を歩きながら、この人に逆らうのはもう良そうと思った。勿論。
表に出すのをやめるだけだ。