キミが刀を紅くした
次の日の朝、瀬川村雨が村崎と村崎の母ちゃんを連れて挨拶に来た。じいちゃんが俺を呼んだが俺は寝たふりをして過ごした。村崎は俺の剣の腕を褒めて一緒に練習したいとか言っていたけれど俺はがんとして寝たふりを通した。
「宗柄。起きてるんだろ?」
瀬川親子を帰した後でじいちゃんが布団の傍に座り込んだ。だが俺は返事をしない。なんせ、俺は寝ているのだから仕方ない。
「村崎くんから聞いたよ。お前がぼろ剣を持って出ていくのは毎晩見過ごしていたけど、まさか稽古をしていたなんてなあ。なあ宗柄、お前はお侍さまになりたいのか?」
そんな事は考えた事がない。
「村雨さんが、お前が望むなら村崎くんと一緒に稽古をつけてくれるそうだよ。行きたければ行きなさい。宗柄のためにはなるだろう」
そんなもん行ってやるもんか、と思ったのはもしかすると。村崎の両親を見たからかもしれない。何となく俺には居ない両親が羨ましかったのかも知れない。別に村崎の事が嫌いな訳じゃない。俺は元々じいちゃんと自分以外は好きじゃないだけだ。
そう言い聞かせて俺は布団を深く被った。
「宗柄」
じいちゃの声が柔くなる。
「お前を引き取った時から決めていたんだ。私はお前に鍛冶屋を継がせたいとは思っていないよ。宗柄がお侍さまになりたいのなら、遠慮せずになれば良いと思っているんだ」
俺は引き取られた子だから。じいちゃんの鍛冶屋を継がせてもらえない。ひねくれた俺の頭はじいちゃんの言葉をそう変換した。
目頭が熱くなった。
「宗柄の将来を考えるならお侍さまになる方が良いのかも知れない。勿論、宗柄がなりたければの話だ。ちゃんと考えておいてくれ。じいちゃんもなーーそう長くないだろうから」
すっ、と熱と重みが消えていく。
じいちゃんが鍛冶を始めても買い物に出ても俺は布団から出なかった。悔しくて仕方がなかった。俺はじいちゃんの孫になれなくて息子にもなれなくて、侍になったとしてもきっと村崎の強さには敵わないだろう。
俺は。
「なんで俺にはないんだろう」
両親、武家の筋、才能。それがあったら俺は迷わなかっただろうか。こんなにも胸を締め付けられる程の思いをしなくてよかったのだろうか。どうして俺には村崎のような環境がないのだろう。敷かれた道筋が、俺にもあったらよかったのに。
じいちゃんが買い物に出ている間に、俺はあのぼろ刀を腰に差して家を出た。どこに行くかは決めていない。とにかく家を出た。
歩いている間に考える事は沢山あった。道の途中で子供が偉そうな奴に向かって土下座をしていた。ひどい世界だと思ったが、俺は一瞥しただけでなにも言わなかった。
橋の下の影で時間を潰していた時には幼い女が何度も手拭いを持って河原にやって来た。忙しそうに動いているのにその顔は少しだけ嬉しそうだった。そういう職に出会わなければいけないのだろうかと俺は思ったが、やはり俺の頭には何も浮かばなかった。
知らぬ間に夜が来ていた。
ふと橋の上で何人かの人が立ち止まった。どうせ大人たちがふらふら歩いているのだろうと思っていた。俺はその足音を子守唄がわりに、刀を握りしめる様に抱いて眠った。
「そう、べ、い」
何となくじいちゃんの声か頭に響いた。明日はちゃんと帰って謝ろうかな。こっそり家に貯めてある小遣いを使って甘味屋でじいちゃんの好きな草団子でも買っていこう。
きっとじいちゃんは喜んでくれる。